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じゃ、そういうことで

2009年08月21日
 今回の調査旅行は、北京経由で蘭州に飛び、そこから車で河西回廊を走り、武威、張液、酒泉、嘉峪関、安西を経て敦煌に至るというなかなかごついものだ。

 敦煌は、1994年の敦煌学国際学術検討会に参加して以来だから、15年ぶりということになる。

 今の仕事はどうあっても明日にはけりをつけなければならない。

 ということで、このブログもまたしばらくお休みです。じゃ、また。
 
ある大学教員の日常茶飯

ブログ人格

2009年08月17日
 お盆が終わって高野山にはきっちり秋がきた。

 出発まであと7日しかないので、計算を立ててみた。月火水でAを終える。木金土でBを仕上げる。日曜日はまる一日準備。月曜日にGO!

 なんだ楽勝ではないか、と気分を楽にする。こういう計算がその通りにならないことはこれまでの経験から重々分かってはいるのだが。

 数日前、寝しなに読んだエッセイに「日記人格」の話があった。あまり熱心に日記を書く人には日記人格とでもいうべきものが形成されるので注意だとか。
 日記人格があるなら、ブログ人格、ネット人格も当然あるに違いない。

 私はさすがにそこまでは行っていないと思うが、電車に乗ってボーッとしている時や、早朝、床の中でまどろんでいるような時に、半ば無意識的にブログの材料を探している自分に気づくことがある。くわばら、くわばら。


ある大学教員の日常茶飯

秋の気配

2009年08月14日
 高野には秋の気配が漂い始めている。日中はまだそれなりに暑いが、夜明け前は、涼しいを通り越して寒いと感じるほどだ。

 河西回廊も夜は冷えるだろう。薄手のセーターやウインドブレーカーのようなものを用意し、重ね着できるように、との注意が服部先生から来ている。

 気の合った人々との旅は楽しみだが、その前に二つほど終わらせなければならない仕事がある。残された時間はあと十日だ。

 
 
ある大学教員の日常茶飯

立派!

2009年08月12日
歯医者ですっきりした勢いで、車を行きつけのガソリンスタンドに持って行き、エンジンオイルなどを交換して、ますますすっきりした。
 それを待合室で待つ間に、そこにあった本宮ひろ志の『サラリーマン金太郎』を読んだら、これが痛快に面白い。

 私は手塚治虫先生で育った「アトムの子」世代である。漫画雑誌は『少年サンデー』『少年マガジン』までで、『ジャンプ』などの後発誌はまったく受け付けなかった。だから小中学校で、同級生たちが『ジャンプ』に夢中なのを横目で見て、「へん、正統派の漫画ファンはそんなものは読まないのさ」とうそぶいていた。

 ただし本宮氏だけは例外だった気がする。

 本宮氏は分業で仕事をしているそうだが、何はともあれ、これだけ自分のスタイルを守り通すのは、立派としか言いようがないと思った。
 
ある大学教員の日常茶飯

すっきり

2009年08月11日
 歯医者に行った。

 2月に奥歯の詰め物がとれて、インド行きが迫っていたので応急措置で済ませ、帰国後も忙しさにかまけて行かなかった。そうしたところが、なんだか最近それがひどく気になりだした。しかし、あまり長く行かないと、ますます行けなくなるものだ。どうしてもっと早く行かなかったのだろう。後悔ばかりが先に立つ。

 そこへまたぞろ海外調査が迫ってきた。とんでもない辺境でもしも歯が痛くなったら・・・この恐怖には勝てず、ついに意を決した。

 
「いやあ、24日から海外に出なくちゃならないので、とりあえずの措置でもいいからやってもらって、お盆もあるし、きちんとするのは一ヶ月後でもこちらはちっとも構わないんで・・・」

イスの上でついつい饒舌になる。

それを聞いていた女医さんが一言、「これはそんなにかからないと思いますよ」 

実際、治療はものの十数分で終わった。案ずるより産むがやすし、とはこのことである。ああ、すっきりした。



ある大学教員の日常茶飯

河口慧海の墓

2009年08月08日
 河口慧海の墓は東京の青山霊園にある。青山の前は谷中天王寺にあった。

 私はそれを資料で知って、『評伝 河口慧海』の最後のところに、慧海は「谷中の天王寺にある河口家の墓に葬られ」たと書いた。文章構成上の理由で、その後青山に改葬された、とは書かなかった。

 そのため、これを読んだ東京のS本さんから「今度天王寺に慧海さんのお墓参りにゆきます」というお便りをもらった時には、あわてて「今は青山です」と連絡しなければならなかった。

 ひょっとすると実際天王寺に慧海の墓を探しに行かれた方がおられるかもしれない。

私は誤りを書いたわけではないが、配慮が足りなかったのは事実である。今度、拙著が文庫になるのにあたって、この点を確認しなければならないと思っていた。そこで、今回、東京に資料調査と打ち合わせに行ったついでに、谷中、青山と回ってきた。

 天王寺はJR日暮里駅のすぐ近くにある。いきなり訪ねたにもかかわらず、しかも土曜日で法要が立て込んでいるにもかかわらず、執事さんがとても丁寧に対応してくれた。

 次は青山霊園である。今にも一雨ありそうな蒸し暑い天候で、蝉がうるさいほど鳴いている。広大な墓地の一画にその墓を探し当てる。まず墓前に手を合わせてから、墓石に刻まれた文字を確認し、そのあとまたゆっくりと手を合わせる。今朝からあることで波立っていた心が落ち着くのを感じた。「これからを何とぞご照覧あれ」と一言つぶやいて、墓地を後にした。
研究ノート

西村伊作、大石誠之助

2009年08月05日
 午後とても暑い日が続くので、夕方曼荼羅荘に帰ってシャワーか風呂を使い、少し横になって目を休めてから、研究室に戻ることにしている。
 しかし昨日は疲れていたせいか、3時間も眠ってしまい、ほとんど仕事にならなかった。でも夏はこんな調子でいいのかもしれない。  

 黒川創「きれいな風貌 西村伊作伝」の第一回(『季刊 考える人』)を読んだ。

 今まではむしろ彼の叔父の大石誠之助の方に興味があったのだが、これからは機会があればゆかりの地を訪ねてみようという気になった。

 大石はアメリカのオレゴン州立大学で医学を学んだ新宮の医師である。私が彼に興味を持ったのは、1900年にインドのボンベイ大学に留学してペストなどの伝染病を研究したというその経歴からだ。
 インドに渡る前は、シンガポールの植民地病院で脚気とマラリヤを研究していた。
 大石のインド滞在は長くは続かず、同じ年の12月には病気のために帰国の途に就いているが、彼が初めて社会主義の書物を読んだのはこの時期のこととされる。前年10月に南アフリカで勃発したボーア戦争が刺激になったようだ。
 だとすれば、彼が10年後に大逆事件で絞首台に上ることになる原因は、このインド滞在期に生まれたといえるかもしれない。
ある大学教員の日常茶飯

ゲラを直すこと

2009年08月04日
 今月の24日から服部組の調査で中国に出かける。その前に片づけなければならないことが山のようにある。
 そのうちの一つが2月に南方熊楠顕彰館で行なった講演を文字に起こしてもらったものに手を入れることだ。
 正直に言うと、私はこの種の仕事が大嫌いである。
 
 考えてもみてほしい。自分が適当にしゃべったことが一言一句文字に変換されている。それを読む時の何とも言えない恥ずかしさを。

 オレって、こんなひどいしゃべりかたをしてるの?!

 その通り。いや、講演は、原稿やメモや資料があり、意識してことばを選んでいるからこれでもまだましなのであって、普通の会話はもっとめちゃくちゃなのだ。それでも立派に通じるのは、音声、表情、身振り手振りなどが総合されるからで、話し言葉とはつまりそういうものであるに違いない。

 ともあれ、ここは我慢して一つひとつ片づけてゆくしかない。ああ、しんど。
 
 
ある大学教員の日常茶飯

K-GURS研究会

2009年08月02日
 30日(木)、K-Gurs研究会が大谷大学で開かれた。
 今回のテーマは「先祖祭祀と家の確立」。京大の森本さんが綿密な研究成果の一端を話してくれた。この研究会、いつもは「仏教と一神教」でやっているのだが、今回はこの枠組みを離れる試みをしてみた。とてもおもしろい内容で、私のような専門外の人間には耳新しいことばかりだった。

 終わって評議員会があり、K-Gurs独自科目の設置などについて審議した。

 先週の高野山は、夜明け前から蝉がうるさいほど鳴き、その合間に豪雨が降るという異様な天候が続いた。通信制大学院のスクーリングも始まっていることだし、今週はスカッと晴れ渡ってほしいものだ。
研究ノート
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