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大正期に来日したチベット僧リンチェン

2009年06月10日
藤本さんから送ってもらった資料は、藤本さんのお父上、藤本真光師(元高野山大学教授)が所持しておられた在中国日本公使館発行の証明書とはがき二枚で、すべて大正期に来日したリンチェンというチベット僧に関わっている。

従来、私は、アジア歴史資料センター所蔵の文書から、大正6年に初来日して、その後も日本を再訪するリンチェン(林臣)というチベット僧がいることを知っていた。彼は初来日の時、東京で真光師に就いて学び、二回目の来日も、その時には高野山大学の教授になっていた真光師を頼ってのものだった。

また、大正14年にはツェワン・リンチェンというデルゲ出身のカルマ派僧が来日したことも分かっていた。この年に中国を旅した河口慧海が連れ帰ったもので、このリンチェンは、東京の根津宮永町の慧海の自宅に寄宿した。はっきりはしないが、数年間は日本にいたようである。

ともにリンチェンだが、これはありふれた名前だから、簡単には両者を同一視できない。

それが今回藤本さんから送っていただいた資料で、同じ人物であることがはっきりした。

はがき二枚は、大正15年の夏にリンチェンが根津の慧海宅から高野山の真光師宛に出したチベット文のもので、真光師を慕う気持ちがよく表れている。

当時ラマ僧の来日が非常に珍しかったかといえば、かならずしもそうではない。しかし、リンチェンは、慧海の助手としてチベット大蔵経の書写をしたりして、結構な働きをした男である。その彼が実はそれ以前から日本に来ていたわけである。大正6年に東京で真光師に教えてもらっていたということは、当然、真光師のチベット語の師匠である慧海とも会っていたと見てよい。

今まで考えていたのとは、ちょっと違った構図が見えてきておもしろい。それに、このチベット僧と高野山との関係が意外に深いものであったらしいことも興味深い。
もうひとつ、真光師の高野山の住所が千蔵院となっていることにも私は少しだけ驚いた。千蔵院は、明治15年に南方熊楠が家族といっしょに高野山に詣でた時に宿泊した寺である。まさかその時給仕に出た小僧の中に真光師がいたわけではないようだが、ここにも深い縁を感じる。









研究ノート
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