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太秦広隆寺

2009年05月16日
 所用で京都に行ったついでに太秦(うずまさ)の広隆寺を訪ねた。
 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を知らない人はいないだろう。

 しかし今回この寺を訪ねたのは、熊楠がらみである。熊楠は〔高山寺〕の書簡の一つで、広隆寺の本尊薬師如来の両脇侍は異様なもので、普通の仏菩薩ではない。太秦広隆寺は、唐朝の大秦寺、つまり景教(ネストリウス派キリスト教)寺院を模したものであろう、という太田錦城の意見を紹介している。

 太田錦城は江戸時代後期の儒学者であり、この話は太田の随筆集『梧窓漫筆拾遺』に出ている。
関連個所を引用しよう。

 本尊は薬師などにて。常の仏像なり。左右の脇立に細く長き笠を蒙りて。棹の先に銀の月金の日を差し上げたる像なり。仏家のものとは。努々(ゆめゆめ)思はれず。波斯(ペルシア)大秦(ローマ)などの天教を奉ずる家の。像設たること明白なり。此等の穿鑿は無用の事なれど。此事を知り。此事を言ふは。天下に我一人なり。・・・・
(括弧内引用者)

 ここまで調べて、私は、はて、広隆寺にこんな異形の像があったかしらん、と思い、しょっちゅう京都に行っているのだから、これを確認しないでは手抜きの誹りを免れない、と考えて、行ってみることにしたのである。

嵐電(らんでん)に乗って、広隆寺前で下りる。

霊宝殿で目当ての仏像に対面する。本尊は勅封ということで厨子は閉じられていたが、脇侍の日光菩薩と月光菩薩は間近で拝観することができる。

ははん、なるほど、盛り上がった宝髻を笠に見誤ったのね。

すぐに結論が出たので、あとは霊宝殿の見事な仏たちをゆっくりと拝んでから、帰途についた。

肩すかしを食ったようなものだが、気分はさわやかだった。

ネットで見ると、この寺の創建にまつわり、太田の説も含めて、さまざまな「歴史ロマン」が飛び交っているのが分かる。それ自体を云々するつもりはないが、その根拠とされるものまでたどって確認しつつ進められた論がはたしてどれだけあるかは疑問であった。

研究ノート
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