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新緑の南方熊楠邸

2009年05月10日
 一昨日から昨日にかけて田辺の顕彰館に出かけた。

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熊楠旧邸の庭はこの時期、むせかえるような緑である。

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熊楠の書斎。奥の座り机の上にフレイザーの『金枝篇』の原書などが、なにげなく積んである。

3月20日に始まった「南方熊楠と高野山」展も昨日で閉幕した。
研究ノート

ジャガッダラの遺跡

2009年05月09日
 昨日の続きでジャガッダラ遺跡について一言。

 この発掘で分かったことの一つは、ラージバリの遺構は、おそらくは観音を本尊とする仏殿であったということである。つまり、パハルプルのソーマプラやマイナマティのソルボン(以上バングラデシュ)、さらにインドのビハール州東部のヴィクラマシーラのような、中央の塔を囲む方形の僧坊の列を基本とする僧院建築ではなかったのである。これはまったく予想外のことであった。

 どんなに立派でも仏殿だけでは大僧院の態はなさない。それなりの規模の僧院が他の場所に―それもあまり遠くないところに―眠っていると考えるのが自然である。それにだいいち、ラーマパーラ王が造営した都、ラーマーヴァティーの位置もまだ突き止められていない。
 
 モシャラフ氏は、バングラデシュ東南部のマイナマティ・ラルマイ遺跡群はガンダーラに匹敵する大遺跡であると胸を張るが、どっこいこの辺り(バングラデシュ北部)も、特にインド・チベット密教史に関心がある者にとっては、目が離せない場所なのである。

で、この辺りから北東に針路をとると、やがて3月に訪れたゴーハティを中心とする、いにしえのカーマルーパに出るという具合。こうして何やらグルグル回りながら、私は私なりに対象に近づきたいと思っている。

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ジャガッダラからさほど遠くないパハルプルのソーマプラ(ソーマプリー)大僧院の遺跡。2007年3月、宿泊所の庭から撮る。この宿泊所はなかなか快適だった。
研究ノート

ホセイン氏の論文

2009年05月08日
 『高野山大学密教文化研究所紀要』第22号ができてきた。

 私はこの号にモシャラフ・ホセイン氏の論文を翻訳・解説して載せている。
 題して「ジャガッダラで発見された五祠堂型寺院の最古の遺構」。

 これはバングラデシュ北部、ヴァレンドラ地方にあるジャガッダラ遺跡のラージバリ(王宮殿)と呼ばれているマウンドの発掘報告で、短文だが貴重な情報を含んでいる。

 というのも、ここがジャガッダラ大僧院の跡と考えられているからである。 ジャガッダラ大僧院は、インド仏教最後の砦の一つである。

 1203年にイスラーム教徒の攻撃で滅びたヴィクラマシーラ大僧院の最後の僧院長であったカーシミーラマハーパンディタ(カシミールの大学者)・シャーキャシュリーバドラが、チベットに行く前に避難していたのもここだった。


 モシャラフ氏はダッカにあるバングラデシュ考古局の次長を務めるベテランの考古学者である。2年前、私は、安藤さんとバングラデシュに行った際、この人の案内で各地の遺跡を巡った。学究肌の、とても謙虚な人物で、多くの著作がある。
私は彼の業績を日本に紹介したいと念じてきた。今回、その一端が果たせたことが嬉しい。彼も喜んでくれるだろう。


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このマウンドは東西105m、南北85mで、そこから内庭の四隅に四つの祠堂を持つ方形プランの寺院の遺構が発掘されている。写真は、本堂跡。彫刻が施された石柱などがばらばらの状態で出土している。ここから発掘されたターラー菩薩の立像は、今はパハルプル博物館に展示されている。








研究ノート

ときどきどぎときどきときときどきどきときどきとぎさん

2009年05月06日
タイトルに漢字を入れて書き直すと、

「時々どぎ、時々とき、時々どき、時々とぎさん」

となる。この業界(?)では有名な、土宜法龍の土宜の読み方である。

熊楠の方から入った人は、「とき」と読むのを好む。シカゴ万国宗教会議の議事録をはじめとする英文資料において、彼の名が例外なくTokiと綴られるからである。このことは、彼自身、「とき」と名乗り、そう署名していたことを示していると考えられる。

ところが、鈴鹿の福楽寺、京都の高山寺、香川の三谷寺など彼にゆかりの深い場所には、そろって「どぎ」の読みが伝えられている。耳の記憶は決して軽んじることができない。

その他にDoki、「どき」、「とぎ」の読みを取る資料もあるのである。

そこで、私は、最近は、タイトルのようなことでお茶を濁すことが多い。

実は個人的には、「どぎ」だと思っている。本来「どぎ」なのだが、「とき」と自称していたと。しかし、他の読みがまったく考えられないかというと、そこまでは断定できない。

ついでながら、数年前ある人に、土宜法龍の法龍は、「ほうりゅう」ではなく、「ほうりょう」ではないか、とのご下問を受けた。土宜がギメ博物館から出した『四度印図』のフランス語版に、彼の名前がHoriouと表記されているのがその理由であった。フランス語でouは[u]と発音するから、「ほうりう」→「ほうりゅう」なんですよ、とお答えしたが、「ワシはフランス語なんか知らん」とかえってご立腹であった。(こういうのを逆切れというんだよね)

このことについてはまだ言い足りないこともあるが、こういうことをあまり書くと、専門家って、結局、バカなのね、と思われかねないので、これくらいにしたい。


研究ノート

7月の能海寛研究会年次大会

2009年05月05日
 ついでながら能海寛研究会年次大会の告知をさせてもらう。

日時:7月12日(日) 午前10時から午後4時まで
場所:島根県浜田市金城町波佐(はざ) ときわ会館(0855-44-0146)
日程:年次大会総会
    会員研究発表
    記念講演

記念講演は3つも用意されている。

 ? 「梵語・チベット語学生としての能海寛」  奥山直司
 ? 「カトリック宣教師の道―雲南からチベットへ―」 中村保
 ? 「『能海寛著作集』に見える坪井正五郎の人類学講義録」 横田禎昭

横田さんは能海寛研究会長。今回の年次大会はいろいろな意味で記念の大会になるので、会長自ら講演される。坪井正五郎は日本の人類学の草分け。興味深い内容になりそうだ。

中村保さんは著名な登山家で、横断山脈研究会の会長をされている。ヒマラヤの東に位置する横断山脈の探検と調査が評価されて、去年、英国の王立地理学協会から「Busk Medal 2008」を授与された。この地域に関しては、掛け値なしに世界一の権威だ。中村さんには『チベットのアルプス』などの美しい本がある。

私は、日本山岳会の藤本慶光さんに連れられて、一度、東京の中村さんのお宅にお邪魔したことがある。その時も、中村さんはカトリック宣教師の話をしておられたから、これまたおもしろい話になるだろう。

ついでのようで申し訳ないが、藤本さんは、高野山の出身で、お父様の藤本真光先生は、高野山大学教授、高野町長などを歴任された。真光師は東京帝大で法律を学んだが、宗派の意向もあって、河口慧海の弟子となってチベット語を学ばれた。むちゃくちゃ厳しい指導だったらしいが、私からすれば、実に幸福な経験をされたわけである。

慧海との関係は、真光師が高野山に戻ってからも続いた。高野山大学図書館のお宝の一つ、デルゲ版チベット大蔵経カンギュル部は、慧海の斡旋、真光師の仲立ちで購入できたものである。

というわけで、私はお二人の講師の露払いなので、気は楽である。ただ波佐は能海の故郷で、いいところなのだが、遠い。前に一度車で行ったことがあるのだが、今回は電車とバスで行こうと思っている。ところが、広島からのバスが一日一本しかないという情報があるので、現在確認中である。
研究ノート

普通教校人士

2009年05月04日
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 二三日前に送られてきた能海寛研究会の機関誌『石峰』第14号を見て、私はちょっと驚いた。
『普通教校人士』(明治23年)が全ページ影印されていたからである。


 普通教校は、西本願寺が経営していた学校で、明治18年に開学してからわずか3年で廃校になるが、その間に多くの人材を輩出したことは、近代日本仏教史上に特筆すべきできごとである。本書はその沿革記と「普通教校人士」と呼ばれる関係者名簿からなっている。

 これはこの方面を研究する場合には欠かすことのできない重要資料である。にもかかわらず、本家本元の龍谷大学にも所蔵されていない(らしい)。その稀覯本が能海寛の遺品の中にあったのである。

私は、このことを江本嘉伸氏の『能海寛 チベットに消えた旅人』(求龍堂)で知り、江本さんにわけを話してコピーをもらっているが、こうして誰でも近づける形で公表されたことはとても意義深いことだと思う。

研究ノート

庭掃除

2009年05月03日
 5月3日は世間では憲法記念日であるが、わが家にとっては結婚記念日である。ささやかなお祝いは昨夜のうちに済ませ、今日は朝から庭掃除をした。庭といってもマンションの1階に付いている小さな庭である。
 普段はあまり、というか全然手をかけないので、草がぼうぼうになり、今が満開のライラックのツタがそこらじゅうにからみついている。
 私は、掃除は嫌いではない。というと、私の同僚や学生たちは口をそろえて、ウソだ!と叫ぶに違いないが、私は何も乱雑にしているのが好きなわけではない。ただ片付けるのが下手なだけである。

 思い切って始めてしまえば、何とかなるもので、2時間ほどの労働で、庭は見違えるようになった。大満足である。
 いつのまにか、テリーもやってきて、掘り返されたばかりの土の匂いをかいでいる。この状態を保つことができれば、アシナガバチが巣を作って、大慌てで駆除したりしなくてすむのであるが・・・まあ、この夏はせいぜい庭の面倒をみてやろう。
ある大学教員の日常茶飯
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