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梵語・チベット語学生としての能海寛

2009年04月15日
今月初めに送った『能海寛著作集』のための解説原稿がもうゲラになって戻ってきた。これはよほど急いでいるなと思いつつ、ゲラをチェックすると訂正箇所が結構多い。おまけに重要な注を三つも付けそこなっている。やっぱりあまり急いて書くと、ろくなことはない。

内容には自分でもだいたい満足しているが、これは念入りに見た方がいいと判断し、島根のO崎さんにSOSのメールを打って、資料を借りることにした。

この仕事をやってよかったと思える点は、能海という人間を見直すことができたことだ。前にも書いたが、能海を持ち上げる人には、慧海ぎらいが多い。反対に、関西に濃ーく分布している慧海ファンは「本格的な仕事をする前に亡くなった人間を大先生のように持ち上げてもね」と冷やかにながめる傾向がある。どちらも生産的ではない。

能海のノートを読んで感じたのは、彼は一昔前の旧帝大の印度哲学科の学生によく似ているということだ。一昔前の、とわざわざ書いたのは、昔の私自身の姿ともちょぴり重ねているからであるが、ともかくこの類似は偶然ではなく、両者が近代仏教学という同じ流れに属している結果、必然的にそうなるのである。

つまりはそういうことを書いたのが「梵語・チベット語学生としての能海寛」と題する拙文で、これは『能海寛著作集』の一つの巻の解説となり、それに基づいて7月の能海寛研究会でも話をすることになる。

能海が生きながらえて、梵蔵の仏教文献の研究を続けていたら、いい仕事をたくさん残すことができたに違いない。彼が雲南の奥地から帰らなかったことは、仏教研究にとっては、やはり大きな損失だったのである。




研究ノート
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