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ゴルサム・チョルテン アルナーチャルの旅(13)

2009年04月08日
3月21日(土)
 私たちはブータン、中国国境に近いジミタンに向かった。
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ジミタンはえらく遠かった。この道でもいたるところで補修や清掃をやっている。発破まで仕掛けていて、時々、「ドーン」と遠雷のような音が響く。

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ようやくたどりついたジミタンのゴルサム・チョルテン。24日から祭りで、今日も法要があった。そのためにタワンのキンメ・ゴンパからニンマ派の坊さんが50人ばかり来ている。

崖に作られたお堂で、このゴンパの活仏テクツェ・トゥルクに面会する。

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ラマ「どこからきなすった」
私「ジャパンからです」
ラマ「おお、ジャパンとな。私もジャパンは、オーサカ、トーキョーと回りましたが」
私「東京にはニチャン・リンポチェがおられますが、お会いになりましたか」
ラマ「うん、会った、会った」

チベット仏教のラマたちは私たちが考える以上に活動範囲が広く、ネットワークもしっかりしているのである。それにしても、この人物、磊落な感じで、いかにも神通力の強そうなタイプである。よい印象を持って、お堂から出た。

この谷筋は、1959年にダライ・ラマ14世がチベットからインドに脱出するのに通ったルートでもある。






フィールドワークの記録

6世の故郷 アルナーチャルの旅(12)

2009年04月08日
 タワンはまたダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャムツォの故郷でもある。6世は詩人として、ダライ・ラマには珍しい「非行青年」として、またモンゴルに拉致されて青海で没した悲劇のダライ・ラマとして知られている。

 彼はタワンのウーゲンリンのニンマ派の行者の子として生まれた。その家系はブータンの著名なニンマ派僧ペマリンパのそれであるから、彼はブータン系の人ということになる。

 この日の夕方、私たちはウーゲンリン寺を訪ね、6世ゆかりの品などを拝観した。
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仏足石ならぬダライ足石。6世の足跡だ。聖者は岩の上にも足跡を残すことができる。こういうものは決して珍しくない。チベット文化圏のあちこちで見ることができる。


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6世の母ツェワン・ドルマの肖像画。

 
フィールドワークの記録

タワン大僧院 アルナーチャルの旅(11)

2009年04月08日
 タワンはメイン・ゴンパの門前町の風情で、それなりのにぎわいがある。

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ホテルにチェックインしたあと、さっそく尾根道を僧院に向かう。

ガンデン・ナムギェル・ラツェは17世紀に創建されたゲルク派の僧院である。創始者は地元出身のメラ・ラマ。彼はシガツェのタシルンポ寺、ラッサのセラ寺などで修行したのち、時のチベットの支配者ダライ・ラマ五世の指示を受けて、この僧院を開いた。ここはいわばダライ・ラマ政権の出先機関であり、当時チベットと対立関係にあったブータンのドゥク派勢力を牽制し、ブータンに勢力を拡張するための最前線基地であった。そのため幾度もブータン軍の攻撃を受けたという。この僧院が要塞になっているのも不思議ではないというわけだ。

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本堂に当たる集会堂とチベット大蔵経を納めるパルカン(左)。あいにく雨が降りだした。

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メラ・ラマの廟で会ったロサン・タルギェー師。タワンのサッキュル村の出身で、9歳の時に入寺し、32年間この寺にいるという。
現在、この寺には約450人の僧侶が所属しているが、よその寺に修行に行っている者も多いと聞いた。この寺の生き仏テンジン・ギュルメー師に以前高野山で会ったことがあることは、前に書いたとおりである。しかし、あいにく師は南インドの(新)セラ寺に行っていて留守であった。

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僧坊から台所に飯を取りに行く小坊主。

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下は雨でも山は雪だ。どこまで雪が来ているかがはっきり分かる。







フィールドワークの記録
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