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去年のシャクナゲですが

2009年04月30日
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ここ一週間ばかり、高野山はえらく寒かったので、シャクナゲの開花も例年よりは遅れていると思われる。これは去年の写真ですが、これからこんな花が咲いてゆきます。ご参考までに。
ある大学教員の日常茶飯

ナンジョーに譲るよ

2009年04月29日
笠原は、亡くなる前の年、欧州からの帰りにセイロン(現スリランカ)に立ち寄り、2週間の間にヒッカドゥウェ・スマンガラをはじめとする僧侶たち、ドン・アンドリス・ペレーラ(アナガーリカ・ダルマパーラの祖父)などの神智協会コロンボ支部の人々と交流した。

 帰国の船に乗ろうとする彼に、セイロン人たちは、近々お祭りがあるし、オルコット大佐もやってくるから、仏子たるもの、もう少しセイロンにいてはどうかと勧めた。

 彼は、オルコットに会わねばならない理由もなく、祭りの行列も特に見たくはなかったので、「来年あたり、ナンジョーという日本人がやってくるから、万事彼に譲るよ」といってこの島を後にしたが、スマンガラからは、日本人を受け入れる準備はできているという確言を得ていた。

 これでもしも彼が明治16年に死去しなければ、日本とセイロンの仏教徒の交流は、少なくとも一、二年は早く進んだかもしれない。日本人セイロン留学生第一号の釈興然(しゃく・こうぜん)が横浜港から旅立つのは明治19年の秋である。
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コロンボの中心街フォートの当時の様子。右の建物は老舗のホテルGOH、つまりグランド・オリエンタル・ホテル。コロンボに寄港した大型船の停泊時間は24時間、時にはそれ以上にわたることもあり、旅客は上陸してこうしたホテルで休むことが多かった。(2001年1月、GOHのロビーで撮影)

                *                  *

 長く続いたスリランカの内戦もいよいよ最終局面に近づいたらしい。
「人間の盾」などというとんでもないものが本当に機能する前に戦闘が終結し、「インド洋の涙」と言われてきたこの島が、一日も早く本来の「インド洋の真珠」の姿をとりもどすことを祈りたい。

 

研究ノート

笠原研寿の『ダルマサングラハ』

2009年04月28日
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                    (高野山大学図書館所蔵)

能海寛は明治29年3月から東京麹町の南条文雄(なんじょう・ぶんゆう)の家に内弟子として住み込んだ。この頃、彼が勉強していたものの一つが本書である。


これは南条といっしょにイギリスに留学して、共にオックスフォードのマックス・ミュラーの下で学んだ笠原研寿(かさわら・けんじゅ)の遺稿をミュラーとウェンツェルが整理して刊行したものである。

『ダルマサングラハ』は梵語で書かれた仏教術語集である。能海は、ここから梵語の語彙を収集して、漢語と対応させ、英訳を付している。本書は、こうした基礎的な訓練にはもってこいのものだった。

笠原は留学中に勉強しすぎて肺患を悪化させ、一人無念の途中帰国を余儀なくされて、日本で死んだ。それは能海が雲南の奥地で消息を絶つ18年ほど前のことである。

ミュラーは、『タイムズ』に追悼文を寄せ、その早すぎる死を惜しんだ。その一部を前嶋信次先生の訳(『インド学の曙』pp.72-74)で読んでみよう。

「日本よりの最近の郵信は、わが若き友にしてかつ門人なるケンジュ・カサワラの死を報じ来った。(中略)
わがこの仏弟子なる友の生涯はその道に身をささげ、しかも成果をえなかった多くのものの一であって、われのこれを讃嘆し痛惜するは、あたかも己れが庭園のよき果物の若木が爛漫たる花の匂いながら、そのあらゆる美しさと将来の待望とを、一朝の厳霜にて凋落せしめられたのを見るにも似ている。……
彼は日本に帰って後はもっとも有為な人となったであろう。なぜならば彼はただに欧州文明の長所をあまりなく評価しえたばかりでなく、己れが民族的の誇負をもうしなわず、けっして単純な西洋文化の模倣者とならなかったと思われるからである。(中略)
……彼はいくつかの草稿をあとにのこして去り、われはその公刊の準備にあたり得んことを望んでいるが、とりわけてナーガールジュナ(竜樹)の著とされた仏教術語集『ダルマサングラハ』を挙げる。多年蛍雪の労も、ついにその果を結ばぬと考えることは痛ましい。しかし、三千二百万の日本仏教徒の中にあって、かの一顆のすぐれて覚りを開きえた仏弟子が、いかにあまたの善事をもなすべかりしものをと考えるのは、さらにいたましいことである。(Have, pia anima !)(なおきみたまよ、いざさらば)……」

ミュラーのこの嘆きは、能海の場合にもそっくりあてはまる。日本の近代仏教学が、このような犠牲の上に築かれたことが改めて痛感される。




読書案内

こんなヤツもいる

2009年04月27日
ミータンから、何日か前にこのブログに書いた「堺学」第15集のことが産経に出ていると教えてもらったので紹介したい。

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/090426/art0904261301001-n1.htm

ついでながら、こんな無茶なヤツもいるということで紹介するのが次のニュース。彼、川口君は3月まで高野山大学の大学院修士課程で勉強していた。私はインドに行っていたのではっきりしないが、3月の卒業式の後から歩き始めたと推定される。

これからの僧侶は、このくらいでちょうどいいのかもしれない。

できれば動画でご覧ください。

http://sbc21.co.jp/news/index.cgi?page=seventop&date=20090417&id=0146169&action=details



高野山大学の力

援助は両刃の剣

2009年04月26日
数えてみたら今月だけで5回も京都に行っている。疲れるわけである。

その5回目が昨日のヒマラヤ国際映画祭のオープニングだった。場所は京都の大丸に近いウィングス京都。宮原巍(みやはら・たかし)さんのトークイベントと映画だったが、宮原さんの話だけ聞き、映画の方は見ないで帰ってきた。

宮原さんは、エベレストの麓にある世界最高所(3880m)のホテル、エベレスト・ビューの経営で知られている。

宮原さんの話で記憶に残ったのは、援助というものは両刃の剣である、ということであった。それは、下手をすると、現地住民の他者への依存性を高めたり、格差を助長したりして、回り巡って、地域社会に悪影響を及ぼしかねない、ということだ。

アルナーチャルにも通ずる話だと思いながら聞いた。
研究だからといって、こういうことと無関係でいられるわけではない。現にボンディラのW氏などは、われわれにこう言っている。
「あなたたちは、結局、何のためにここに来ているのか」

W氏にとってわれわれは上得意であり、氏の言葉には特に深い意味はないのかもしれないが、こちらとしては、考えておくべき課題だという気がしている。





ある大学教員の日常茶飯

服部組、再始動

2009年04月23日
今年度は調査旅行の当たり年となった。広島市立大学の服部先生を中心とする研究者グループが活動を再開するのだ。こっちはアルナーチャルもあるから忙しくてしょうがないが、チベット文化圏を短い間に北と南のそれぞれの辺境から見るという珍しい体験が実現しそうだ。

ともかく、またあのものすごい旅が始まるのだ。その経過はまたこのブログでもお伝えしたい。


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研究ノート

レッドクリフ

2009年04月21日
私「神田君、今われわれはどこにいると思う」
神田「はて、どこでしょう」
私「崖の上だ」
神田「崖の上のポニョってわけですか」
私「ちがう、崖は崖でも赤い崖、レッドクリフだ。ほら、目をこすって対岸を見れば、無数の兵船が今まさにこちらに向かって押し寄せてこようとしているじゃないか」
神田「はあ、それじゃ、どうすれば」
私「決まってる。風と火だ。僕が風を呼ぶから、君とU藤さんは、今夜可燃物を満載した小舟で突っ込んでくれ」
神田「何ちゅう役回りですか。僕は下請けに甘んずるつもりはありませんよ」
私「何を言うんだ。ここが勝負どころじゃないか。こっちにはT村さんもいれば、K本さんもついている。彼らは三国志でいえば関羽、張飛、趙雲なみの猛者だ。だから後のことは心配しないで、花と散ってくれたまえ」
神田「しょうがないなあ。突っ込めばいいんでしょ、突っ込めば。でもこんな非常時に劉備のお殿さんはいったいどこにいるんです」
私「とっくに倫敦に高飛びしている」
ある大学教員の日常茶飯

学問決死

2009年04月19日
私「お、神田君、最近調子どう? I 先生のところには行った?」
神田「こないだ、行きましたけど、本当に厳しい先生で・・・学問を中途半端にするくらいだったら、死んだ方がましだと・・・」
私「おお、さすがだ。実は僕もI 先生にはお願いしてあるんだ。『神田は学問をちょっと高級な茶飲み話と勘違いしているところがあるので、厳しいご指導をお願いします。何でしたら半ゴロシにして下さってかまいません』とね。しかし、これは予想以上だ。ハッハ、愉快、愉快」
神田「I 先生は本気なんですよ。一緒に指導を受ける韓国の留学生も、こりゃホントに死ぬしかないかもと・・・」
私「いやあ、ゆる?い学問が大流行りのきょう日、いいことじゃないか。それこそまさに熊楠の、そして新井白石の学問決死というやつだね」
ある大学教員の日常茶飯

フォーラム堺学

2009年04月19日
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去年の11月に「堺・南大阪地域学」で行った講演「河口慧海の歩いた道―ヒマラヤ・チベット・日本―」が活字になった。発行は、財団法人堺都市計画研究所である。同研究所の主任研究員の芝原さんには大変お世話になった。実は、私がこの『フォーラム堺学』でお世話になるのは二度目である。

この第15集にはほかに三つの講演記録が載っている:
 木股知史氏「与謝野晶子と画文共鳴」
 岡村哲伸・田中圭一両氏「まち全体が美術館―堺アートクルーズ―」
 西田正宏氏「古今伝授をめぐって―堺伝授とは何か?―」


いずれも興味深い内容で、しかも講演がベースだからとても読みやすい。
この本は値段が税別953円と付いているので、堺・大阪の本屋さんで手に入ると思われる。

研究ノート

アルナーチャル余聞

2009年04月17日
? 梅や、梅!
本ブログのアルナーチャルの旅(1)に「桜」として載せた写真について、タイフーン氏が、「これ梅ちゃう? 梅や、梅」と言うてきた。まだはっきり分からないが、西ネパールの御山の権威タイフーンが言う以上、これは要注意である。
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これは「本物のサクラソウ」(だと思う)

? 火の用心
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ジミタンで見かけた看板。「火事は神の呪い」とな。おお、怖。下にチベット語が書いてあるけど、読める人は挑戦しよう。K谷くん、答えは
K谷「◎▽■○!」 はい、ご名答
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山火事の跡。でも自分たちで火入れしたのかもしれない。
フィールドワークの記録
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