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ヒマラヤの始まり アルナーチャルプラデーシュ州の旅(4)

2009年03月31日
3月15日(日)
 昨日は街道筋のこぎれいなホテルに1泊。今朝は5時半に起床して参考文献に目を通しメモを取る。
 8時出発。車はブラフマプトラ河の氾濫原を開拓した広々とした農村地帯を驀進する。
アッサムの茶園
アッサム・ティーの茶園 現地で買うと高級品が驚くほど安い。


車中で安藤さんからいろいろとレクチャーを受ける。
 
 アッサムの農村は屋敷地を中心とするもので、バングラデシュに典型的に見られるものだ。ベンガル人はこれによってガンガー下流の大湿地帯を何百年もかけて開拓した。低湿地の利用に関するかぎり、ベンガル文明は世界に冠たる文明なのだ。

 ふむふむなるほど。こう説明されると何気ない農村風景も違って見えてくる。

 Holongiのチェックポストを通り、アルナーチャルプラデーシュ州に入る。途端に道は平地から山地に入り、風景が劇的に変化する。
 宮本さんによれば、ここはヒマラヤの始まりだそうな。ゆくほどに谷川は深まり、あちこちに山焼きの煙が上がっている。道には土砂崩れの跡がなまなましい。ここらは花崗岩、片麻岩の風化層で、もろいのだそうな。土砂崩れの跡
シッキムに似た風景だが、雨季に来たら恐いだろうね。

 やがて車は州都イタノゴルに入る。単なる田舎町の風情である。まず行ったのは本屋。今日は日曜日なので、普通は休みなのだが、昨日ケータイで連絡して、開けてもらっていたのだ。
 あれもほしい、これもやがて必要になるかもしれない。従来、私は旅行中はこういう買い物はなるべくセーブするのだが、あの時買っておけばよかったと、ほぞを噛む経験も多い。こういうところで出している本は二度と手に入らないものが多いからだ。今回は、なるべく後悔しないように・・・と思っているうちに本が山になってゆく。結局、5000ルピー以上も買ってしまった。
イタノゴルの書店にて
左端、アパタニ・ミヤモト、一人おいてアディ・アンドー。二人とも日本人によく似ているねえ(イタノゴルの書店にて)







フィールドワークの記録

アッサム街道 アルナーチャルプラデーシュ州の旅(3)

2009年03月30日
3月14日(土)
 午前10時過ぎの国内便でコルカタからアソム(アッサム)州のゴーハティに飛ぶ。フライトの時間は50分ほどである。
 空港で旅行会社差し回しの専用車に乗り込む。ガイドはライ族のライ氏、運転手はスィク教徒のラジュー。ゴーハティはガンガーの大支流ブラフマプトラ河畔に開けた都市だ。
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ブラフマプトラ河を渡る。この河はチベットから流れてくる。チベットでの名前はツァンポ河。これまでチベットで何度となく渡っているが、下流のブラフマプトラを見たのは初めてだ。

 ゴーハティ大学等に寄ってから、アルナーチャルプラデーシュ州の州都イタノゴルへの道をひた走る。
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これでいいのだ♪IMG_2144_convert_20090330093847.jpg
                                 これでいいのだ♪
フィールドワークの記録

関空?コルカタ インド・アルナーチャルプラデーシュ州の旅(2)

2009年03月29日
3月13日(金)
 8時半に関空に集合して、10時半過ぎのタイ航空機で出発。
 今回の旅行のメンバーは、安藤和雄さん(京都大学東南アジア研究所)と宮本真二さん(滋賀県立琵琶湖博物館)と私の三人。
 
安藤組ご一行様

 機内では映画「オーストラリア」を上映していたので、退屈しなかった。 

14:40、バンコク着。外気温は摂氏34度。いきなり夏である。NGOの人たちと別れ、例によってタイ航空のラウンジに入って、乗換えのための長い待ち時間を過ごす。安藤さんはこの期に及んで、パソコンを叩き、メールや原稿を日本に送りまくっている。

 22:55、ようやく空港内のゲートに移動。コルカタ(カルカッタ)行きの飛行機に乗る。コルカタのネタジ・チャンドラボース国際空港に到着したのは現地時間0:15。入国審査等を済ませ、米ドルをインド・ルピーに両替し、迎えの車で空港近くの宿に着いたときには午前2時になっていた。Sheelas Guest House
「ラッシャイマセー、マイド、オーキニー」 (翌朝、Sheela's Guest Houseのフロントにて)

 


フィールドワークの記録

ヒマラヤの春 アルナーチャルプラデーシュ州の旅(1)

2009年03月26日
ヒマラヤの桜
訪れたヒマラヤは花盛りだった。これは桜。
ヒマラヤの桜2

ヒマラヤのしゃくなげ
これはシャクナゲ。シャクナゲ アップ
いまは赤一色だが、5月頃には様々な色が咲きそろうという。
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シャクナゲの林の向うに白い花を着ける木はモクレン。
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吉野山と見まごうばかりのモクレン山である。






フィールドワークの記録

ではまた

2009年03月11日
昨夕、原稿を一本送信して出発前の最大の懸案事項を片付け、今日一日は気持ちに余裕ができた。
 
 午前10時から通信制大学院生の研究発表に顔を出す。皆さんなかなか頑張っているようだ。
 
 明日は出発の準備に忙しくブログをアップすることはできないと思うので、ここでしばしお別れの言葉。

 13日から25日まで、インドに旅行に出掛けます。場所は東北部のアルナーチャルプラデーシュ州。ブータンの東に広がる山岳地帯。そこにはチベット仏教を奉ずるモンパ族やシャマニズム的信仰を持つロッパ族が暮らしています。同行するのは農学者と地理学者。楽しい旅になりそうです。その一部始終は帰国後、このブログで報告したいと思います。それでは、お元気で。
 
  
ある大学教員の日常茶飯

出る前のどたばた

2009年03月07日
 そろそろ出国前のどたばたモードに入っている。

 外国は出かけるまでが大変だ。大手を振って出かけるためには、やることはやっておかなければならない。しかし、時間が来たら、あとはそれまでである。

 最近は通信手段の発達で、私の同僚にも、外国に出てすらケータイを使って事務連絡をしてくる律儀者がいるが、私は日頃からケータイはまったく使わないし、第一行くところが辺境だから、連絡のしようがないのである。

 ああ、あと3日は眠る暇もない。
ある大学教員の日常茶飯

忙しい日

2009年03月05日
 昨日は朝6時に起きて京都に出かけた。京都宗教系大学院連合(K-GURS)の拡大事務局会議に出席するためである。前にも書いたが、来年度から2年間、K-GURSの評議会議長という結構重い役目を負わなければならない。
 会議が終わってから、京大の図書館に行って資料をコピーする。終わって、KRK(国際旅行企画)に行って旅行保険の手続き。終わって、京阪に乗り、電車の中でやりかけのゲラの校正を終わり、難波まで行って郵便局にて投函し、忙しいから家へ寄らずに高野山行きの電車に乗る。研究室に帰り着いたのは7時半。10時半まで残務整理をやり、曼荼羅荘に帰って、ビールを一缶飲んで12時頃眠る。
 今朝は6時に起き、研究室に来て別のゲラを校正し、9時過ぎからメールと電話で各種連絡を10数回やり、提出の遅れていた論文の査読を終わらせ、12時半から会議を2時間。終わって校正の続きをやり、4時半に宅配便に渡す。その後、「南方熊楠と高野山」展のキャプションを書き、上野屋に行って親子丼を食べ、その後また研究室に戻ってメールをチェックし、キャプションを書き上げ、送信した。

 これから曼荼羅荘に戻って「ありふれた奇跡」を見る。

 直近のブログに目を通したら、まるで毎日遊び暮らしているようなので、日常を書いてみたら、こんなになった。
 
 
ある大学教員の日常茶飯

文庫化

2009年03月04日
 今年、私の本が一冊文庫になる。絶版を心配していたので、素直にうれしい。文庫は一昨年、『河口慧海日記』で、講談社学術文庫のお世話になっているが、これは拙編であり、単著となるとまた一味違う。
 
 おまけに、ひとさまに解説を書いてもらえる特典付きだ。

 先日、打ち合わせの席で「解説は誰がいいですか」と聞かれて、まったく考えていなかったために答えに窮した。「誰がいいかと言われてもねえ・・・」
 
 担当のS氏も、同席してくれたK林さんも、こちらの出方をうかがっている。

 ここで関西在住10数年のキャリアを生かして、いきなり有名作家の名前でも挙げれば、ギャグとしてはおもしろかったのかもしれないが、私は東京に出るとまじめな東北人に戻るので、のど元まで出かけた某氏の名前を飲み込んだ。

 解説は京大名誉教授のT先生にお願いできることになった。まったく望外のことで、恐縮の至りという以外に言葉が見つからない。
 実はその前に、何というタイミングか、T先生からご下問があったのである。

「寺本婉雅は、慧海にチベット語ができないだの何のとけなされたが、それは寺本のチベット語がアムド(青海)方言で、ダージリン、ネパールで慧海が覚えたチベット語とは大分違っていたからではないか」

 なるほど、まことにもっともなご指摘である。こういう意味でも文庫の出来が楽しみになった。
 出版は11月頃。その前に多少の改訂を加え、文庫版のあとがきも長めに書くつもりである。







 
研究ノート

神島に渡る

2009年03月01日
田辺・南方熊楠顕彰館での講演会はなかなか手応えがあった。打ち上げもいつもにもまして盛大であった。
 しかし、それ以上にすばらしい体験が翌日は待っていた。
 
 神島(かしま)に渡ったのである。
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田辺湾に浮かぶ神島は、天然記念物に指定されている暖帯樹林の小島だ。「おやま」と「こやま」と呼ばれる、磯でつながれた大小二つの島山からなる。人はもちろん住んでいない。
 
 神社合祀反対運動を通じて神島の樹木を乱伐から守り、天然記念物に指定される道を開いたのは、熊楠であった。この島は、熊楠らが展開した自然保護運動のシンボル的存在であり、また彼の人生のハイライトとなった昭和天皇へのご進講の舞台でもある。正確に言えば、このご進講は御召艦長門の艦上で行われた。これに先だって、天皇は神島に上陸し、頂上の社まで登っているが、この時、熊楠は海岸で待っていたという。

 島の浜辺には、行幸記念に熊楠が詠んだ歌の碑が建っている。

「一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめでましし森ぞ」

 
 神島は正式な許可がなければ上陸できない。前日から行われている調査に加えてもらっての渡島である。
 しかも植物の専門家、D先生ご夫妻のガイド付きという贅沢なものであった。


 空は晴れ、海はあくまで青く、神島の森は鬱蒼と茂っている。原生林の中、道のない山を上り下りするうちに、昨夜のアルコールの残滓もどこかに消えていった。

 実に気持ちがいい。

 しかしD夫妻の説明によれば、この島の自然は、カワウの繁殖などによって荒廃が進んでおり、熊楠の当時とは、その姿を激変させているという。
 しろうと目には、豊かな森にしか見えないが、実はそのような状態にあることに、軽いショックを受けた。

 島には館で借りた長靴を履いていった。確かに神島は革靴では歩けない。しかし服は昨日の講演会のためのスーツである。
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はっきりしない写真だが、あまり見られた格好じゃないので、ちょうどいい。

 後でM居先生から、神島に正装で渡ったのは熊楠以来ではないか、とからかわれた。そうと知っていたら、ネクタイもしてゆくんだった。機会があれば、紋付き袴で上陸したいものだ。
 とにかく、この二日間はとても楽しく有意義だった。田辺のみなさん、ありがとうございました。
研究ノート
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