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4泊5日の研究会

2009年02月06日
 月曜から今日までの五日間、雲藤さんに東京から来てもらって熊楠書簡の検討会を行った。

 私は校務をこなしながらとびとびに参加しただけだが、朝から夜までの雲藤さんと神田君は本当にきつかったと思う。

 ここまでやってきて、まだ読めないで残っている文字は、難読中の難読文字である。難読道場で20年修行して、ついに栄えある難読免許皆伝となったような強者ばかりである。彼らの牙城をどれだけ突き崩せるか。この点に今度の出版の成否が掛かっていた。

 それで結果はどうだったかといえば、これがかなり読めたのである。

 もっとも私は、はなから熊楠の文字は私には読めない、を宣言しているから、今回はオブザーバーに徹した。仕事が進んだのは、ほかの二人の手柄である。

雲藤「ここに寿という字が見えるんですよねえ・・・□寿□□、いや、□寿因□かな。先生、寿因経なんて経典はありませんか?」
私「さあ、ないと思いますが」
雲藤「□寿・・・□寿・・・、あっ、童寿ってなかったですか、神田さん」
神田「童寿、ありました。鳩摩羅什の別名ですね」
雲藤「そうだ、これは童寿だ!それじゃあ、その下は□澄?これは澄じゃないかな・・・その上は円かな。円澄(えんちょう)?先生、円澄っていますか」
私「円澄といったら、最澄の弟子にいますね」
雲藤「いるんですね。すると童寿、円澄でどうかなあ」
私「でもこれ円に見えますかね。圓かな」
神田「圓じゃなくて図じゃないですか」
雲藤「図?図澄(とちょう)・・・」
三人「仏図澄だ!」

雲藤「やったあ!うれしいなあ!ほんとにうれしい!神田さん、ありがとう」
神田「雲藤さんが澄が読めたのが勝因ですよ」
私「いやあ、二人ともこんな文字がよく読めましたね。童寿、図澄で文脈的にもOKです」

というような次第で、ここに敵の砦がまた一つ落ちたのでありました。めでたし、めでたし。

まだ彼方に霞んではいるが、ゴールが見え始めた瞬間だった。




 



 
研究ノート
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