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東北大学のパンフレット

2009年01月30日
去年のいつかは忘れたが、仙台の印刷会社から、あなたの名前が母校・東北大学の宣伝用パンフレットに載るので、原稿のチェックをお願いする、という連絡があった。
 私は来るものはこばまない。すぐに朱を入れて送り返した。

 それから何ヵ月かして、それができあがってきた。ぱらぱらとめくって、なるほど、ふん、ふん、立派なものができたな、と思いながら、私はパンフレットを脇に置いた。それっきり、それは私の机の周りにうずたかく積まれている本やコピーの山の中に埋もれて見えなくなった。

 ところが年末近くだったろうか、下の娘が学校から同じパンフレットを借りだして、そこに私の名前を発見し、妻に報告した。そこで彼女も仕方なく、一部購入したという訳である。

 正月にあらためてそれを見ると、私の隣が阪大の川村邦光さん、その隣が山折哲雄先生である。その他にもそうそうたるメンバーが、各界で活躍する出身者として並んでいるではないか。

 どういう訳で私が選ばれたのかは知らないが、東北大出身者でいい仕事をしている学者は、それこそごまんといるはずだから、私は内心忸怩たるものがあった。

 でも、まっ、いいか。勇気をくれるものなら何でもかまわないから、もらっておこう。
 


 
ある大学教員の日常茶飯

地下鉄迷子

2009年01月27日
 一昨日ひとつ、昨日ひとつ片付けて、ずっと引っかかっていた仕事に区切りがついた。さあ、人文研だ、と勇んで出かけた。
 その帰りの出来事である。

 私は人文研に行く時には、泉ヶ丘から泉北高速鉄道で天下茶屋までゆき、地下鉄堺筋線に乗り換え、北浜で京阪に乗り換えて、終点の出町柳で下りる。
 帰りはこの逆である。
 
 ところが昨日に限って、京橋で下りてしまった。ある理由で、「京橋」という言葉が頭を占領していたために、京橋で電車が止まったとたん、反射的に下りてしまったのだ。
 
 改札を出てから、間違いに気づく。
 この時、北浜まで150円の切符を買ってもういちど京阪に乗るのが一番早かったのだが、それじゃあ、この私のプライドが許さない。別ルートで天下茶屋を目指すことにする。
 案内板を見ると、JRも地下鉄も走っておるではないか。地下鉄なら天下茶屋まで一枚の切符でゆける。長堀橋鶴見緑地線のホームに向かう。ところがこれが大深度にあって、結構遠い。
 ようやく乗ったのはいいが、今度はどこで乗り換えるのか分からなくなる。ええいままよ、と谷町六丁目で下り、またはるばる谷町線のホームまで歩く。そのあげく、谷町線は天下茶屋には行かないことに気づく。

 ここまで来ると、今日はどうもおかしい、俺は大阪地下鉄から当分出られないのではないか、という気になってくる。ここは冷静にならねば。そういえば、さっき、森ノ宮で、中央線にお乗り換え、のアナウンスがあったぞ。中央線ならどこともつながっているだろう。
 まったく根拠のない推測をもって、もう一度鶴見緑地線に戻り、さっきとは逆方向に進む。ところが車内の路線図をよく見たら、なんだ長堀橋に行く方が早いではないか。玉造で下りて、反対方向の電車に乗り、今度は予定通り、長堀橋で堺筋線をキャッチした。
 ところが昨夜の私はよほどどうかしていたらしい。途中、動物園前で「なかもず方面はお乗り換え」のアナウンスを聞いたとたん、ふらふらと下りそうになった。
 違う、違う、この電車でいいのだ。自分に言い聞かせているうちに電車は天下茶屋のホームに滑り込んだ。

 大阪地下鉄の怖さを学んだ一夜であった。

 
 

 
 
 
 
ある大学教員の日常茶飯

こいつは春から

2009年01月26日
 先日、E塚君がレポートを持ってきた。教員になってこの方、こんなにおもしろいレポートは読んだことがない。内容を紹介したいが、差し障りがありすぎて、できない。
 マル秘文書として子々孫々に伝えることにしよう。
 
 今日もちょっとしたいいことがあった。いずれ詳しく書くことができるだろう。 

 おりしも春節である。

 数年前、春節を青海省の同仁県で迎えたことがある。大晦日の夜中、突如、町中で爆竹が鳴らされ、花火が上げられて、まるで市街戦が始まったようだった。

 黙阿弥じゃないが、「こいつは春から縁起がいいわえ」といきたいところである。
ある大学教員の日常茶飯

電子辞書

2009年01月24日
 電子辞書は禁止する!

 私自身が定めたこの禁を破って電子辞書を買ったのは、去年の11月だった。使ってみると、すこぶる便利である。

 しかし昨日、補講をやっていて院生の「ていたらく」を見てつくづく思った。

 やっぱり、こりゃだめだ。

 どういうことか、というと、自分がよく知っていることを確認したり、知識をプラスしたりするのには、これはとっても便利な器具なのである。

 しかし、こと語学に関する限り、これで実力アップしようというのは間違っている。理由はちゃんとあるのだが、ぐだぐだ言いたくないから省略する。分かる人は分かるでしょう。

 電子辞書で語学を勉強しようとするな。
 普通の辞書を使え、と声を大にして言いたい。

ある大学教員の日常茶飯

「高野山と南方熊楠」特別企画展

2009年01月22日
雨が道路にしこっていた氷雪をぐちゃぐちゃにする悪天候の中、特別企画展の準備のため、南方熊楠顕彰館の人々が来られ、半日ほど、山内を案内した。

 龍神スカイラインはスムーズに通れたということで、人間樹氷になってのご到着、を「期待」していた私にとっては、いささか拍子抜けであった。

 ただ梅の花がほころびはじめた南紀から一気に来ただけに、みなさん寒い、寒い、を連発。今日は私だって寒いのだから、無理もない。

 今回の訪問は大成功だったと思う。これで、とてもいい企画展になることは疑いない。

 会期は、確か3月20日から2ヶ月間だったと思う。その前宣伝の一環として、2月28日(土)午後1時から、私が「南方熊楠と高野山、そして真言密教」と題してお話する。

 正確な情報は、顕彰館のHPで近々告知されるはずなので、それでお確かめください。

http://www.minakata.org/

 顕彰館で「天才熊楠君」でお勉強した後、白浜温泉でゆっくり体をほぐし、くえ鍋でも囲む。いいだろうねえ、きっと・・・。

 

 



 
ある大学教員の日常茶飯

静先生の最終講義

2009年01月21日
 昨日、静慈圓先生の最終講義があった。

最終講義というのは、定年退職する教員の最後の講義で、学生の他に、教職員や知人、かつての教え子などが多数出席して、賑々しくやるのが通例だ。

 静先生といえば、中国である。ところが不思議なことに、静先生と中国にご一緒したことはこれまでに一度しかない。10年ほど前、新疆ウィグル自治区に行ったのがそれで、目的はある遺跡の視察であったが、一緒に行動してみて、静先生のタフさにはほとほと感じ入った。

 講義を聴きながら、あのバイタリティーで、弘法大師の長安までの道を巡礼路として整備したり、寺院を復興したりしたのだな、と改めて思った。

 今後のご活躍を祈りたい。
 
高野山大学の力

京都・宗教系大学院連合

2009年01月18日
 京都・宗教系大学院連合(K-GURS=ケイ・ガース)は、京都とその近辺にある7つの宗教系大学・大学院の連合体である。
 「京都をもう一度日本における宗教研究の中心に」を理想に掲げ、単位互換や研究会・講演会を行っている。
 高野山大学もその一員だ。

 昨日、同志社大学で第6回の研究会と評議会があり、高野山から日帰り出席した。研究会はいつもながらとても刺激的なものであったが、詳細は略す。
 次は3月の講演会である。これは無料で一般公開されるので、興味のある方は積極的に参加してもらいたい。

  日時:3月28日(土) 13:00から15:30
  場所:キャンパスプラザ京都(JR京都駅前) 4階 第2講義室
  講師とテーマ:立松和平氏「禅に学ぶ」

 事前申し込みはなく、会場は200人くらい(?)しか入れないので、早めにお越し願いたい。
 
 なお、私は来年度からK-GURSの評議会議長を拝命することになってしまった。大学間の持ち回りだから止むをえないが、ちょっと荷が重い。

 

高野山大学の力

雪の進軍

2009年01月15日
とにかく雪が消えないのである。消えないどころか、毎日わさわさ降ってくるのである。

 来週、田辺の南方熊楠顕彰館から、3月からの「南方熊楠と高野山」展の打ち合わせのために人がくるが、スタッドレスタイヤのレンタカーで龍神スカイラインを突破する計画と聞いて、私は不安に思っている。
 
 今のスカイラインは南極、北極、チベットに次ぐ第四の極地だ。

 「4WDでないと、龍神の雪はやばいっすよ、ほんまに」とE塚君も言っている。

 まさか青森5連隊八甲田山雪中行軍隊の二の舞になりはすまいが・・・

 「こちらからは救助隊は出せませんので、食料と燃料は十二分にお持ちください」とM川さんにメールを打っておいた。

 昨夜、帰りがけに正門の坂で、神田君が立ったまま5,6メートル滑った。新雪の下がアイスバーンになっていた。
「うあああ!、こ、怖い、でもおもしろい!」
と大はしゃぎだった。
 東京者はこれだからおもしろい。
 
ある大学教員の日常茶飯

修士論文の締め切り日

2009年01月14日
 昨日は修士論文の提出締め切り日で、建物内がなんとなくざわついていた。
 徹夜でぎりぎりまでやっていた人たちも何とか間に合ったようだ。
 
 先週の内に提出を済ませている余裕綽々のE塚君が顔を出したので、一緒に電車で帰った。

 極楽橋から下ったところの山の景色は、四季それぞれにみごとだが、昨日の雪景色は小松均の水墨画を想わせるものだった。確か、「自然は芸術を模倣する」という言葉があったと思うが、まさにそのような感じである。

 ついでに言うと、霧に覆われた紀伊山地の山並みは、「もののけ姫」のオープニングの景色によく似ている。
 
 いい機会なので、E塚君といろいろ話をして、私は、彼が自分の人生に関して実にしっかりした考え方を持っているのに驚いた。

 家に帰ったついでに、ビデオ店で「Fall of Roman Empire(ローマ帝国の滅亡)」を借りた。ずっと前に一度見て、どうしようもない大味映画の印象を持ったが、アレック・ギネス演じるマルクス・アウレリウスが出るいくつかのシーンが動画サイトで推奨されていたのにつられて、ついついまた見る気になったのである。「グラディエーター」の筋書きが、これに妙に似ているのも気になっていた。
 今ちょこちょこ見ている。豪華キャストの大作映画もしょせん監督の腕次第、が痛感される結果だが、英語のリスニングの練習にはいいかもしれない。

 
 
 
高野山大学の力

学問と決死すべし?

2009年01月11日
 昨夜、密教文化研究所の玄関を出たら、雪が止んだ外が妙に明るい。雪明かりかと思ったら、中天に薄雲を通して満月が光っている。こういう月を西行もながめただろうか。ひとっこひとりいない表通りを新雪を踏んで帰る。伽藍も森も雪に閉ざされて静まりかえっている。高野山ならではの風情である。

 さて、注である。注にもいろいろあり、一番簡単なのは、これは何、この人は誰、というやつで、基本的にはこれでいいようなものだが、これだけつきあってくると、もう少し深いところまでやって、レベルを上げたいという欲が出る。

 たとえば、「学問と決死すべし」が熊楠の座右の銘の一つであったことはよく知られている。それが熊楠の尊敬する新井白石に関わることはこれまでにも指摘されている通りだが、高山寺資料の1通にそれがもう少し詳しく出てくる。若き日の白石が河村瑞軒にこう戒められたという話である。この話が「学問と決死すべし」の出所であることは明らかである。

 しばらく前までは、河村に注をつけてお茶を濁していた。しかしある日、待てよ、と考えた。これは意外に重要かもしれない。そこで調べてみると、この話は結構有名だったようで、いろいろな本に出てくるではないか。そこでそれらを踏まえて、注を大幅に書き直した。これはまだ中途で、できれば話の大本を明らかにしたいと思っている。
 お心当たりの方は、ご一報願いたい。

 ところで私の部屋のホワイトボードには「学問と決死せよ」と書き付けてある。
 しばらく前、院生の入道イケダがそれを見つけて、「ありゃ何ですか」と聞くので、「いやなに、知り合いの熊公というのがこんな世迷い言を書いててね」とごまかした。

 この言葉は若者にこそ似合うもの。われながら今頃になって「決死」じゃあしょうがないな、という思いもある。

 
ある大学教員の日常茶飯
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