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左利き

2008年12月19日
 私は左利きである。利き目も利き耳も左だ。小学校に上がる前には箸も鉛筆も左手で持っていた。
 今なら、そのまま大きくなったと思う。
 
 しかし当時は「矯正」することが一般的だった。
 私の両親もそう考えたようである。ただ彼らが「偉かった」のは、私がそれと気づかない巧妙なやり方で、これを進めたことである。
 
 私には二歳年上の兄がいる。彼が習字塾に行くことになった。その初回になぜか私も行かされた。先生は女の人で、私たちが帰る時に、兄に「またいらっしゃい」とやさしく声をかけた。兄は私と違って活発なタイプである。家に帰るなり、さっさとどこかに遊びに出てしまった。そこで代わりに私が「また来いって」と報告した。それは「(兄に)また来いって(先生が言っていた)」の意味だったのだが、これを聞いた母は「それじゃ、なおじも行かなくっちゃね」と、さっさと私の入塾を決めてしまった。しかも兄は逃げてしまい、実際に通いはじめたのは私だけだった。
 
 まんまとはめられた訳である。

 最初に書いたのが漢字の「一」であることはよく覚えている。筆を持つと右手にはまったく力が入らなかったので、ぐにゃぐにゃになって、半紙からはみ出した。
 習字自体はおもしろくもおかしくもなかったが、私は、先生に時々うどんなどをご馳走になりながら塾通いを続けた。
 そして、気がついた時には右手で字や絵がかけるようになっていた。一時は両手が同じくらい使えたので、大人たちに珍しがられた。だがやがて箸と鉛筆を操る能力は完全移行して、右手だけのものとなった。
 一方、運動系はそのまま左に残った。ハサミは左手でなければ使えない。また木のへらを使ってアイスクリームを食べる場合もなぜか絶対に左である。

 この件で私にはトラウマらしきものは何も残らなかった。しかし、習字塾通いは、親の意向で、場所を変えてその後何年も続けられたが、こちらの方はちっとも上達しなかった。そのため今も下手な字を書き続けている。
 あれだけ通えば、普通は行書や草書が読めるようになって文書の読解などに役立ちそうなものだが、いやいや通ったこともあって、こちらの方もさっぱりである。いや、さっぱりどころか、書を見ること自体が苦手で、できれば避けて通りたい。トラウマというなら、これがトラウマかもしれない。

 だから、数年前に関西熊楠研究会に行き始めた時も、自分には熊楠の文字は絶対に読めるようにならないという確信があった。はじめからそんなだから、案の定そうなった。今後も読めるようになる気遣いはない。


 

 
 
 
ある大学教員の日常茶飯
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