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科研による研究会

2008年11月30日
 東京から雲藤さんを御山に呼んで、一昨日から科研の研究会を行っている。

 課題は、京都の高山寺で4年前に発見された南方熊楠の土宜法龍宛書簡のテキスト整定である。

 直接のメンバーは、雲藤さん、神田君、私の三人だが、4年前からこの書簡群の翻刻に関与してきた人の数は多い。今回も雲藤さんが携えてきたK本さんからのコメントがとても役に立った。
 この場を借りて、みなさんに感謝の意を表したい。

 最初は、場合によっては東京で研究会を、と考えていた。だが実際にやってみると、この作業はウチ以外ではちょっと無理であることが分かる。

 まず自由に使える場所があり、熊楠の書簡を研究するためのさまざまなツールがそろっており、図書館、インターネットも簡単に利用できなければならない。こういう環境はそうざらにはないだろう。
 
 おかげで少しずつ目処が立ちつつあるが、まだ先は長い。どうやら正月も返上のようだ。

   

 
研究ノート

スペクタクル映画

2008年11月26日
 「モンゴル」と「300」の次が「レッドクリフ」である。いい時代になったと言わなければならないのかもしれない。
 ちょっと前までは想像するしかなかった大スペクタクルシーンが次々に映像化されているのは、むろんCG技術の進歩のたまものである。


 子供の頃の私はこの手の歴史絵巻が大好きだった。というよりも強い憧れをもっていた。しかし田舎の小学生は、おいそれと映画館に出入りすることなどできない。しかも、そういう映画が来るのは、一年か二年に一本程度であった。

 そのため、もともと空想癖の強かった私は、テレビの洋画劇場や読書から得たイメージや知識を材料にして、頭の中に大パノラマシーンを組み立てることに文字通り夢中になった。

 
 ところがここに来て私は、自分がもはやそういうものではあまり楽しめなくなっていることに気づくのである。もちろん、ずいぶん時間が経っているのだから、嗜好も興味の対象も変わっていて当然である。
 大味な大作よりも、もっと微妙なもの、あるいはもっと深みのあるものを求めるようになっているのだ、とこれがこの場合の自己分析であるが、実はこれはただの老化現象なのかもしれないと密かに恐れてもいる。
ある大学教員の日常茶飯

温泉か

2008年11月23日
 なにはともあれ、連休である。
 仕事を少しでも進めるためにこの連休も御山にいる。一種の「刈萱」(かるかや)状態だが、出奔した「ととさん」を探しに登ってくる殊勝な子供もいないので、ドラマにはならない。

 昨夜はこの冬一番の冷え込みだったと思う。

 毎朝、曼荼羅荘の玄関を出たところで空を見上げて、「今日こそいい仕事ができますように」と祈るのだが、満足感にひたりながら曼荼羅荘への坂道を上ったという記憶はほとんどない。

 昨日、ひさびさにアメリカ人の留学生Pに会った。Pはある高校で非常勤で英語を教えている。調子はどうか、と聞くと、人生にはreconciliationは付きものさ、などとすましている。なんでも、橋本の温泉でストレス解消してきたとのことで、別れ際に、「こんどもらったチケットあげます」と。
 
 温泉か・・・悪くないな。この近辺にも少し足を伸ばせば山の出湯のような場所があるらしいから、この冬は探訪しようか、などと思いながら、相変わらずパソコンに向かっている。



 
ある大学教員の日常茶飯

最近の印象に残った対話

2008年11月17日
その1

私「神田君、書簡?×は消えたから」
神田「それはいったいどういうことですか!」
私「これは独立した一書ではなくて、前の書簡の追伸なのだ。その理由は、ああだ、こうだ、ああだ、こうだ(以下20行省略)、という訳だ」
神田「でも、これまで私たちはこれを独立した書簡として扱ってきたわけで・・・」
私「それが間違いだったんだなあ。まあ、事実は事実だ」
神田「何とかならないですか」
私「なるわけないじゃないか。こういうのは素直に認めなきゃ。クックック・・・」
神田「あんまりだ?!!(といいながら走り去る)」

その2

神田「先生、これ見てください(と、ひらひらした紙を渡す)」
私「なになに、ガクシ・・?ああそうか。神田君、気を落とすんじゃないよ。もともと難関なんだから」
神田「何言ってるんですか!よく読んでください」
私「・・・・ん? ?! へええ、やったじゃないか。よかったなあ!」
神田「ありがとうございます。これでしばらくはなんとか」
私「まあ、気を引き締めてしっかりやるんだ。これでとうとうキミも、クマグスから一生足を洗えなくなったというわけだ」
神田「(照れながら)いやあ、それほどでもぉ(←言われたことの意味を考えていない)」
私「よし、それじゃ、お祝いに」
神田「お祝いに?」
私「読み合わせやるぞ!」
高野山大学の力

高岡君の結婚披露宴

2008年11月15日
明王院の高岡君の結婚披露宴に行った。場所は梅田のホテルである。

 招待客は二百数十人。さすが高野山の塔頭の住職の結婚披露宴である。

 高岡君は学部の時に私のゼミだった。彼が近代真言宗史を研究テーマに選ぶに当たっては、私も多少の役割を果たした記憶がある。
 祝宴は四時間は続いただろうか。新郎新婦の友人たちが暖かい雰囲気を作り出していたと思う。

 終わって、梅田の駅に向かって歩いていたら、後ろから市村夫妻が追いついてきた。また高野山で会おうな、といって別れた。
 

 
 
ある大学教員の日常茶飯

堺・南大阪地域学で講演

2008年11月13日
堺・南大阪地域学?の講師として大阪府立大学で講演した。
テーマは「河口慧海の歩いた道―ヒマラヤ、チベット、日本―」

 受講者は社会人と府大の学生合わせて約1000人という大入りだった。
 慧海は地元堺の出身だから、こちらも思わず熱が入った。

 同様のテーマであちらこちらで話をさせてもらっているが、やるたびに内容、映像ともにいくらかずつは改善を心がけているから、常に最新が最善だ。

 ただ今日は、予定の90分ぎりぎりまで話してしまい、質疑応答の時間が取れなかったのが残念だった。
 いつも思うのは、聴講して下さった方々と意見交換などで交流したいということ。次回はそのことを考えて時間配分しようと思う。
ある大学教員の日常茶飯

『環』に土宜法龍についての論文が載った

2008年11月09日
一昨日、東京から来月のシンポジウムの案内が来た。アメリカ人の近代日本仏教研究者J 氏からの誘いだという。以前からこの人の仕事には興味があったので行くことにした。
 今月から来月にかけては、講演が3つと、このシンポジウムがあり、校務はもちろん山のようにあり、論文審査があり、原稿書きが、これも山のようにある。文字通り「ぐずの大忙し」状態である。

 今週は、高野山大学でオーストリア科学アカデミーの苫米地等流氏の『理趣経』新出梵本についての講演会があり、それに引き続いて、3日間、チャンドラキールティの『ヴァジュラサットヴァ成就法』の購読があった。購読は全部は出られなかったが、刺激的で、とてもよかった。これを来年以降につなげてもらいたい。

 藤原書店の学芸総合誌『環』に論文が載った。

環
 
 題して「近代日本仏教史の中の土宜法龍」
 
 一般誌に土宜法龍(どぎ・ほうりゅう)がまとまって紹介されるのは、これが初めてのことだ。同じ号に「鶴見和子さん三回忌の集い」の報告があり、拙文とも多少コラボレーションしているのも何か因縁を感じた。
 これをバネに「高山寺所蔵南方熊楠新出書簡」の出版に向かう。


 
ある大学教員の日常茶飯

アムド研究はおもしろい

2008年11月04日
アムネマチン
10月27日(月)、15時から密教文化研究所の研究会で発表を行った。
タイトルは「青海蔵族と仏教文化―『センション年代記』と「センション史壁画」を中心に―」
辺境からチベットの歴史文化を照射するという、このところ続けている試みの一端を話した。チベット東北部(アムド地方)は、幾多の民族と文化が複雑に接触を繰り返してきた、まさにコンタクト・ゾーンだ。
上の図は、アムド最大の産土神、マジャルポムラ。霊峰アムネマチンを座所とする神だ。青海省黄南蔵族自治州のレプコン(同仁県)の大僧院ロンウォ寺の壁画。

研究ノート

11月になった

2008年11月01日
11月の高野は晩秋というより、初冬の装いです。

キャンパス内の黄葉
黄葉 キャンパス

女の子たちは相変わらず元気だ。

初冬
高野山大学の力
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