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熊楠邸にて

2008年10月26日
旧熊楠邸の裏手に回ると、珍しくH本さんがいない。例によって、縁先に腰を下ろして、ぼんやりと、小雨の降る庭をながめた。
 餌になる木の実が多いせいか、鳥たちが樹から樹へと飛び回り、うるさいほどさえずっている。
 
 奥から着物を着た男がふらりと出てきて、座敷に座った。
「おもしろいか」
 私は、その口ぶりのおうへいさにムッとして、「別に」と答えた。
すると男は言った。
「ならば、なぜお前はそこにいる」
 
 これは剣呑な奴だ。

「仕事さ」
「仕事とは何だ」
「食うためにやることが仕事じゃないか」
「するとお前は食うために学問をやっているのか」
「そういってしまうとみもふたもないが、プロとはそういうもんだろう」
「つまらん奴だ。だから西洋人の受け売りのようなことしかできんのだ」

私はあらためて男の顔を見た。やけに鼻が高い。いや、高いというより長い。なるほどこれは「てんぎゃん」(天狗やん)だと思いながら、私は逆襲に出た。

「他人のことが言えた義理か。あんただって、土宜法龍に得々と語ったことはたいてい西洋人の受け売りじゃないか」
「いよいよつまらないことを言う。あれは法龍が言って欲しいと思っていることを言ってやったまでのことだ。坊主のくせに外国人ばかり気にしていたのでね。それよりさっきからわしが知りたいのは、お前が何者で、何のために学問をやっているかということだが」

だんだん面倒になってきたので、私は目を覚ますことにした。

気がつくとそこはパークサイドホテルの一室である。昨夜は、会議終了後、T村さん、M川さん、N尾さんと田辺駅近くの居酒屋で飲んで、ここへもどるなりバタンキューだった。たまたま隣室だったT村さんは当然のことながら出発した後である。
朝食をとり、風呂に入ってから、チェックアウトして、顕彰館に向かう。M川さんたちに会い、館長の中瀬先生に挨拶し、資料を見せてもらい、それをDVDに入れてもらって帰途に就いた。

ある大学教員の日常茶飯

特別拝観

2008年10月24日
友人のDが御山に20数人の学生たちを引率してやってきた。TG大の古美術研究旅行の一環である。

 今日は夕方から霊宝館での特別拝観に付き合い、宿泊先の遍照光院まで送っていって、お茶を飲んで帰ってきた。
 普通ならば、外に飲みに誘いだすところだが、引率教員が一人しかいないということで、今日は遠慮した。
 明日が、こちらが手筈を整えた特別拝観の日である。

 明日は高野山大学で宗教倫理学会の学術大会があるので、そちらの方にも顔を出さなければと思いつつ、この特別拝観は、Dの依頼で半年前から準備していたものなので、どうしても外せない。
 
 明日は一行が奈良方面に電車で去るまで付き合ってから、学会発表を聞き、それから田辺まで行って、南方熊楠顕彰館での夜の会議に臨む予定。

 ずいぶんと忙しいが、こういう忙しさならばちっとも苦にならない。

というわけで、そろそろ曼荼羅荘に帰って寝よう。

 最後に、最近愛聴している「ジェッディン・デデン」を聴いて。
 これはトルコの軍楽隊の行進曲で、一度聴いたら忘れられないインパクトがある。日本でも結構、知られているはず。
 聴いていると、オスマン帝国の大軍団の行進が目に浮かんで、何か妙に元気が出てくる。

 ♪ ジェッディン・デデン、ネスリン、ババン、ジェッディン・デデン、ネスリン、ババン・・・・
 



ある大学教員の日常茶飯

インドの舞踏と御詠歌のコラボ

2008年10月21日
この前のネルー大学の踊りの研究生たちと高野山大学の御詠歌を習っている学生とのコラボの続き。

ネルー大舞踏
伝統と現代をマッチさせようという試みか。同行した先生は「ナーティヤ・シャーストラ」の研究者とのこと。

金剛流御詠歌
ネルー大は大勢だから勢いに負けるかな、と思っていたら、何の何の、それをしっかりと受け止め、遜色がなかった。

金剛流御詠歌2
扇の使い方など、とても珍しかったのか、インドの人たちもずいぶん写真を撮っていた。
こういうの、もっと大勢の人が習うといいよね。
高野山大学の力

新知識階級 クマグス

2008年10月17日
 神田情報によって、東京ローカルの深夜に、V6の新番組「新知識階級 クマグス」が登場することを知った。
 何だか「超芸術トマソン」っぽい命名だと思いながら、ネットを検索すると、もう情報があふれている。その多くが「関西では見れへんのんか」といった怨嗟の声だが、V6の人気を再確認するとともに、このくらいの遊びがあってもいいと思った。

 番組の趣旨は「ひとつの分野を極めるために人生の全てを捧げる研究者を「クマグス」と命名して、話を聞く」というものらしいが、いっそのこと、
何の役に立つのか分からない研究自体を「クマグス」と呼んで顕彰したらどうだろう。

 今年のイグ・ノーベル賞に、粘菌の研究者が選ばれたことでもあるし。

ネルー大インド舞踏研究生

今日、インドのネルー大学のインド舞踏研究生たちが本学を訪れて、ダンスを見せてくれた。古典とは違う現代の踊りだが楽しめた。お返しは、金剛流のご詠歌で、これもとてもよかった。






 
 
研究ノート

福田令寿 飯田三郎

2008年10月15日
しばらく前の会話ですが。

私「おっ、神田君、いいところに来たね。またいい注が書けちゃってね」
神田「へえ、どんなんです」
私「福田令寿だ」
神田「福田といえば・・ロンドン日記に出てくる福田ですか?」
私「そう。『南方熊楠アルバム』に写真が載っているあの青年。いいかい。

 福田令寿(1873?1973)。熊本の医師、教育者、慈善事業家・・・」

神田「簡にして要を得ていますね」
私「そんなこざかしい言い方いつ覚えたの。この僕がこれで終わりな訳ないだろう。続きがちゃんとあるんだから、よく聞いてくれ。

 熊本県下益城郡に生まれ、熊本英学校で海老名弾正らの感化を受けて、キリスト教徒となる。一八九三年に渡英し、エジンバラ大学で医学を修めて、一九〇一年に帰国した。熊楠とは、エジンバラに行く前、ロンドンに滞在していた一八九三年八月二日に、足芸人の美津田滝治郎の紹介で出会って以来、連日のように行動を共にしている。二人は、福田がエジンバラに移ってからも文通を続け、福田は熊楠に植物標本などを送っている。『熊楠日記1』の一八九三年十月十七日の条には「福田令寿氏え耶蘇教徒の事を書きおくる」とある。しかし福田の回顧談には熊楠は登場しない」

神田「結構な量ですね」
私「これで驚いてちゃいけない。まだ続きがある」
神田「えっ、まだ終わりじゃない?」

私「なお福田は、イギリスへの船旅の途中で、ロンドンで長く商売をしているという年の頃三四、五歳の飯田なる人物と親しくなり、ロンドンでは彼の家に宿泊した。これが『熊楠日記1』にしばしば登場し、熊楠との親交が知られる飯田三郎(生没年不詳)である。熊楠によれば、飯田は仙台人で(『熊楠日記1』三二二頁)、ピカデリーで道具屋を営んでいた(「ロンドン私記」一八五頁)。二人の交遊が始まるのは、同年八月六日に熊楠が福田に会うために飯田の家を訪ねてからのようである。とまあ、こんな具合だ」

神田「先生、まさか全部その調子で書いているんじゃないでしょうね」
私「もちろんすべてをこんなに長く書きやしないよ。まあ、せいぜい5つに1つだね」
神田「・・・・」

私「おっと、大事なことを忘れていた。この注が書けたのは、『百年史の証言 福田令寿氏と語る』(YMCA出版)と久野啓介著『紙の鏡 地方文化記者ノート』(葦書房)という二冊の本のおかげだ。二冊とも電話一本で熊本から送っていただいた。僕はこの仕事が済んだら、この二冊を南方熊楠顕彰館に寄贈しようと思っている」
神田「そりゃ、T村さんたちが喜びます。でも、先生、いつからそんなに善人になったんです?」
研究ノート

「おくりびと」など

2008年10月13日
 俳優の峰岸徹さんが亡くなったというニュースにはちょっと驚いた。
 土曜日に、「おくりびと」に行き、峰岸さんの「ご遺体」の演技を見たばかりだったからだ。
 
 この映画にはたっぷり泣かされ、また笑わされた。テーマは重いが、だからこそコミカルにということだろう。死に対する生の典型は食と性で、そういうものも嫌みにならない程度に取り入れられている。丁寧な作りのいい映画だと思う。

ただ、「千の風になって」の次が「おくりびと」だと、仏教の居場所がますますなくなるようで心許ない気もする。

 土曜は長女の誕生日だったので、堺・泉北のTOHOシネマで待ち合わせて一緒に映画を見、その後、家族で泉ヶ丘の駅前に出て食事をした。

 
ある大学教員の日常茶飯

だんじりの季節

2008年10月12日
 大阪南部の秋はだんじりの季節だ。そのピークがこの連休である。
 
 だんじり祭といえば、岸和田が有名だが、大阪南部から和歌山北部の紀ノ川沿いでは、かなり広範囲にだんじりが行なわれる。

 最近はあまり聞かなくなったが、だんじりには事故が多い。
 だんじりと呼ばれる屋形型の重たい山車を何十人もの人間が引き回すのである。舵とブレーキもあるにはあるのだろうが、よく利くとはとても思えない。おまけに、動くだんじりの屋根の上で踊る大工方が一番かっこいい憧れの役目である。岸和田は城下町で、昔の街道筋は狭くて鉤型に曲がっている。そこをかなりのスピードでだんじりが驀進する。いきおい角を曲がり損ねて、民家の壁を削ったり、電柱に激突したりする。だんじりから人が放り出される。
 昔は町同士が張り合うあまり、大喧嘩になることもしばしばで、「血祭」とも呼ばれたらしい。

 一度岸和田に祭りを見に行ったことがあるが、さすがに今は喧嘩も事故もないようだ。警察官が大量に動員されており、だんじりと見物客とを巧みに規制していた。
 
 ただ、だんじりそのものはやはりすごい。目の前をさーっと通った時には、総身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
 町単位でやっているから、引き手の中に子供と若者と大人と年寄りの四世代がそろっているのも、
岸和田の町人の一生を見るようで微笑ましかった。ついでに言うと、子供から年寄りまで、みんな茶髪なのもさすがと思えた。
 
ある大学教員の日常茶飯

10月の京都

2008年10月07日
 昨日久しぶりで京都に行き、金木犀の香りが漂う町を歩いた。
 京都にいたのはただの7時間だが、その間に3カ所を回り、いろいろな人に会い、いろいろと興味深い話を聞き、私はいつもより少し多弁になった。
 帰りの電車の中で、気分がとてもよくなっていることに気づいた。と同時に、ここしばらくかなり強いストレスを抱えていたことを自覚した。
 それが京都の一日で大分解消されたというわけである。

 その感じは今日も持続している。

 歩くこと、そして気持ちのいい人間関係の中に身を置くこと。
 
 

 
ある大学教員の日常茶飯

ゼミの風景

2008年10月03日
 4回生のゼミは、この時期、完全に卒論の個人指導に切り替わっている。

私「はい、みんな集まって。いよいよ後期も本格的に始動して、卒論もこれからが勝負です。ではまず、それぞれの研究課題を順番に述べてください」

「はい、ダライ・ラマさんデス」
「ヤクシャさんデス」
「毘沙門さんデス」
「慈雲さんデス」
「熱河承徳避暑山荘さんデス」
「土宜法龍さんデス」
・・・

私「はい、どうもありがとう。それではまたそれぞれ調べにもどってもらいますが、その前に『卒論の精神』を復唱してください。オリンピックにオリンピック精神があるように、卒論にも『卒論の精神』があるのです。いいですか?卒論は、はい」
一同「卒論は」
私「出すことに最大の意義がある」
一同「出すことに最大の意義がある!」

私「まあ、これは提出締め切り3日前位になって唱えるととても効果がある呪文ですが、現時点では、少しでもいい卒論が書けるように努力してください。では、解散します。後で回ってゆくので、質問や相談があったら、その時にするように」

☆ちょっと戯画化してしまったが、今年も奥山ゼミはユニークな課題がそろっている。
☆誰かな?修論も同じだろうかと考えている人は?まあ、究極的にはそうかもしれないが、やっぱりそれなりのレベルにもっていってもらわないと・・・・





高野山大学の力

やられた、と、まずい、と、ホッ

2008年10月01日
 やられた、と思ったのは、「おくりびと」というタイトルを見た瞬間。どんな映画か一瞬にして了解でき、しかも、たいそういい映画だろうと察しがついた。
 何でも同じだが、要は目の付けどころだとつくづく思う。

 まずい、と思ったのは、体重計に乗った瞬間。ついにリバウンドが始まった。考えてみれば、最近、食べる量が確実に増えている。
 
 ホッとしたのは、昨日の4時きっかりに、S出版のM社長に原稿110枚分を渡した瞬間。あと50枚は残っているが、当面の危機は回避された。それで気が抜けて、昨日は眠くてならなかった。

 ちなみに「おくりびと」の舞台は山形だそうだが、ネットの予告編にちらりと映っている山は、庄内平野から見た月山と踏んだ。山形市側から見た月山は、あれとは違って溶けかけたアイスクリームのようだ。してみると、舞台は庄内地方の酒田か鶴岡かな。今度映画館で確認せにゃならぬ。
 
ある大学教員の日常茶飯
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