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高野山霊宝館

2008年08月31日
 高野山霊宝館は、全国各地の神社仏閣に付属する宝物館の類としては、圧倒的な質と量をもつ、掛け値なしに日本一の施設だと思う。

 何しろ1200年の伝統を誇る高野山にはお宝がうなっており、そのお宝の多くが霊宝館に預けられているのである。
 ふだんから、私は、この御山全体が高野山大学のキャンパスだ、というつもりでやっているから、年に何回かは必ず授業に霊宝館見学を入れている。
 ただ残念なのは、大宝蔵展という特別展が、毎年、夏期休暇の期間中にあるということだ。

 というわけで、今日は、雨の晴れ間を見計らって、大宝蔵展に足を運んだ。

 ある、ある。慶派が腕を振るった八大童子立像、日本仏画の最高峰仏涅槃図、弘法大師の聾瞽指帰、ちょっと渋いが勤操僧正像・・・・
 専門的知識のある人だったら、すごいラインナップであることがお分かりいただけるだろう。
 この特別展は9月15日まで。まだの人は走ってください。
 
 ちなみに霊宝館が開館したのは大正10年3月1日、初代館長はその時の金剛峯寺座主、高野派管長の土宜法龍だった。ただし設立の準備は、法龍が管長になるずっと前から進められていた。

 高野山は雷火などによる火災で多くの惜しんであまりある文化財を失ってきた歴史があるので、こういう施設が待たれていたのである。建設費は、簡単にいえば、日本全国津々浦々の善男善女の浄財によったわけだが、益田孝をはじめとする財界人の支援も大きかったようだ。メセナなどという言葉がなくても、昔の経済人はいろいろなところで社会貢献していたことが分かる。


 


 
 
 
高野山大学の力

グーグルアース2題

2008年08月28日
I 先生「奥山さん、ちょっとこれみてくださいよ」
私「(PCの画面をのぞきこみ)なんですかこの家は?」
I 先生「これ私の実家なんです!」
私「おお、これが、あの大阪のどまんなかの、梅田の阪神百貨店地下のいか焼きの店に下駄ばきで行けるという、I さんの実家ですか…?」
I 先生「まあ、そうですけどね。(気を取り直して)とにかく、これ見てください。ちゃんと動くんですよ。ストリートビューいうんやけどね」
私「へえー、いつのまにやらこんな風になっちゃってるんですか」
I 先生「そう。(妙な抑揚で)ソーナッチャッテルンデスヨ」

神田「ちょっとこの図どう思います」
私「へたくそな図やね。法龍か?」
神田「そうです。ここがエッフェル塔、それでもってここに埃及なんたらとあるんですが・・・」
私「エジプトといったらオベリスク、オベリスクといったらコンコルド広場だ。こういうのは、あれ、あれ。グーグルアースで見るんだ」
神田「もう見てますよ。(といいながらパソコンを開くと通りの向こうにエッフェル塔が見える)」
私「ようし、それじゃ、コンコルド広場と入力してみよう」
神田「(カチャカチャ)出ました」
私「ほらね。そっくりじゃん。これがそのオベリスク。右に行くと突き当りがループル、でここが確か・・・・?」
神田「ここにチュリルと書き込みがありますが」
私「チュイリュリー宮殿だ」
神田「入力しても出ませんよ」
私「じゃ、チュイルリー」
神田「出ませんけど」
私「Tuilurie」
神田「だめです」
私「Tui・・・」
神田「あ、なんだここに書いてある。Tuileriesと。出ました、テュイルリー宮殿です」
私「・・・神田君!君、最近、勉強が進んだねえ」

私は、その昔、高校の世界史のS先生が、やはりこの宮殿の名前で「かんでいた」ことを何十年振りかで思い出していた。先生、その節はありがとうございました。

高野山大学の力

Bitter, please !

2008年08月27日
そういえば、「ロンドン私書」の中に、熊楠が毎晩パブにいりびたって「ビッター、プリーズ(ビッターをくれ)、ビッター、プリーズ」と連発するので、友人たちに「ツクツクボウシ」とあだなされたとある。確かに「ビッター、プリーズ」を早口で何度も繰り返すと、蝉の声のように聞こえるかもしれない。

 思い当たることがあって、長女に借りた林信吾氏の『英国ありのまま』を見てみると、ビター(bitter)はイギリス独特のビールで、常温で飲むとある。

私は酒類では特にビールを愛飲する。日本でもその気になればビターを買えるはずだが、それではおもしろくないし、普段は日本製のラガービールで十分である。だが一度はロンドンのパブで「ビッター、プリーズ」とやらかしてみたいものだ。

 
研究ノート

熊楠はやっぱり江戸だね

2008年08月26日
  昨日になってはじめて、ブログの拍手にコメントを付けることができるのを知った。
 [ミータンTIBETさん]をはじめとするコメントをお寄せのみなさんに何の反応もできなかったのは、そのせいです。陳謝。

 昨日は、朝から気分がすぐれず、講義のあとも、仕事が手に付かなかった。今日もそれを引きずっているが、何とか回復基調にある。

 元気付けに最近の熊楠話から二三。

 「熊楠は、やっぱり江戸だね」

 私のような素人は、ちょっとやっただけで熊楠像がころりと変わるので、専門の先生方には噴飯ものかもしれないが、熊楠の教養の根底は江戸の文化、歌舞伎、浄瑠璃、狂歌、狂詩、都々逸、戯作文学、落語などなんだろうなと思う。この方面からのアプローチは重要かもしれないと思いつつ、蜀山人や風来山人は熊楠よりももっとデカイ相手かもしれないので、素人にはやっぱり手が出せない。

 「熊楠が最後まで残るのは文学かもしれない」

 これまた不遜な物言いとなったが、これは『珍事評論』と合本で出版された「ロンドン私書」を読んで頭に浮かんだ言葉。この破天荒な文体を何と呼んだらいいのか、私には分からないが、資料的に貴重なだけじゃないはず。

研究ノート

閉会式

2008年08月25日
何でも終わるというのは淋しいものだ。
 昨夜は全然調子が出ないこともあって、早く帰って閉会式を見たが、長たらしさと、これでもか、これでもかというごってりした内容に辟易して、チャンネルをしばしば切り換えた。

 あれだけたくさんの人が出ると、中には失敗したり、さぼったりする者がいて不思議はないものだが、TVで見るかぎり、そういうことがなく、各人の動作のひとつひとつがすべて振り付け通り、練習通りに決まっているという感じで、むしろちょっと異様だった。
 巻物とか渦とかのローリングを基調にした構成は、開会式から各会場まで一貫したもので、よく練られていたとは思うけれど。

 
 唯一、次のロンドンからのパフォーマンスが、おしゃれで自由で風通しがよく感じられたのは、何だか皮肉である。

 
ある大学教員の日常茶飯

高野山大学夏期セミナー

2008年08月24日
 明日から二日間、高野山大学夏期セミナーがある。これは一般社会人を対象にしたもので、二日間に16もの講義が開かれる。あらかじめ言われていることは、徹底して分かりやすく、だ。
 
 私は、明日の午後に「わかりやすい曼荼羅のはなし」という題で話をする。そこで取り上げようと考えていることの一つは、建築であれ、絵画であれ、彫刻であれ、宗教的なものには、バーチャルリアリティの効果があるということだ。

 バーチャルリアリティという外来日本語は、「仮想現実」と訳されることが多く、そのため外見は似ているが実質は違うものといった風に受け止められがちである。けれど、virtualの本義は、実質上の、という意味で、私もバーチャルをこちらの意味で使いたい。つまり原物そのものではないが、そのエッセンスを伝えるもの、として。 


 私は、毎年度後期に学科基礎ゼミでインド・チベットの密教について教えているが、その最初の授業は、かならず壇上伽藍の根本大塔の中でやることにしている。

 大塔の内部はまさに密教のバーチャルリアリティ空間そのものであり、時空を超えて、インド・チベットの密教世界の旅に出る出発点として、これほどふさわしい場所はほかにないと思うからだ。

 (最近、熊楠の話題ばかりで、密教のことがお留守になっていた。やっと密教学科の教員らしいことがちょっとばかり書けた気がするが・・・)
 
 


 
 
高野山大学の力

負けと勝ち

2008年08月23日
負けたものは仕方がないが、「(敗因を)分析してもせんない」というのは、責任者のことばとしてはおかしい。たしかに記者会見の場でごちゃごちゃいうのもまた変で、ご本人は「敗軍の将兵を語らず」のつもりだったのだろうが、それで押し通すつもりなら、それは違うと言いたい。せめてどういう状況でどうだったのか、という詳しい報告を(JOCに?野球機構に?)してもらいたい。それが現場の責任者としての務めであると思う。客観的な分析は別の人に任せればいい。

 ということで募った不快感を吹き飛ばしてくれたのが、昨夜の400mリレーだった。特に引退を決めている朝原氏の晴れやかな顔を見て、この人はこの瞬間、自分の人生に勝ったのだな、と思った。羨ましいことでもある。
ある大学教員の日常茶飯

あいかわらずの・・・

2008年08月22日
秋はこの朝突然私に来た。
 誰の詩だったか忘れたが、とにかく、このところの冷たい雨で、御山はすっかり秋です。
 
神田「ちょっとおもしろいことがわかりました。10月18日の法龍の宿泊先は、ノーサンバーランド…」
私「Northumberland AvenueのHotel Victoriaだろ」
神田「どうしてわかるんですか」
私「南方熊楠顕彰館(田辺市)に保管されている法龍の熊楠宛書簡の中にHotel Victoriaの便箋を使ったものがあるのは君も知っての通りだ。それをさっき確認した。このホテル、今はここにはないようだが」
神田「百年以上たってますからね」
私「なに、老舗ホテルは百年たっても、どんとそこに立っているのが普通じゃないかな。僕はカルカッタではよくGreat Easternに泊まったけど、ここは大谷光瑞も利用している。今は並み以下という感じだけど…」
神田「それじゃ次の日ですが、この日は神智協会に行ってアニー・べザントたちに会ってます。そしてその日のうちにホテルから別の宿泊施設に移ってますね。神智協会の隣街だそうですが、番地が書いてない」
私「そこが熊楠の手紙にあるブラウン方か。番地が書いてないのは惜しいが、神智協会はわかるかもしれない。なにしろ、ほれ、ここに番地があるだろ。19 Avenue Road これをだな…グーグルアースに入力して・・・・ロンドンに降りてみると・・・おお、最初からアニー・ベザントの家の表示があるじゃないか。彼女、有名なんだな。なるほど、マダム・ブラヴァツキーが亡くなったのはここか」
神田「急に宿泊所が見つかるなんて、きっとベザントか誰かに紹介されたんでしょうね」
私「確かに。まあ、ともかく熊楠が連泊することになる法龍たちの宿所というのは、この辺りということだ」
神田「何か灯りが見えてきたきがしますね」
私「いや、そりゃない。あいかわらずの蟻地獄だ」
研究ノート

私は疲れているのか

2008年08月20日
神田「法龍の1893年10月30日の日記に宅見と中村という人物が出てくるんですが、心当たりないですか」
私「中村は中村錠太郎。宅見は巽孝之丞の聞き間違いだな。二人とも横浜正金銀行ロンドン支店の中井芳楠の部下です。だいたい、中井のホームパーティーで接待の側に回るのは、招待客じゃない何より証拠だ」
神田「なるほど。ところで、昨日の論文読,まれましたか」
私「ああ、高橋●一関係ね。読んだよ」
神田「どうでした?」
私「感銘を受けた。しかし、僕はもっとすごいことを考えた」
神田「すごいこと?」
私「熊楠モリアーティ説だ」
神田「はあ?!」
私「熊楠は、シャーロック・ホームズの好敵手、ロンドンの暗黒街の帝王モリアーティ教授だったということだ。もっと正確に言うと、モリアーティはホームズといっしょにライヘンバッハの滝に落ちて死んだから、熊楠はその二代目としてシマを引き継ぎ、昼は研究、夜は部下を使って荒稼ぎ。この時期、ホームズはチベットに行っているから怖い者もないと・・・」
神田「そうすると高橋はその部下のひとりですか」
私「ヤツはだめだね。高橋はアーノルドの奥さんのお玉さんに暴言を吐いた。僕なら到底許さない。よくて追放、わるけりゃ、テムズ川にす巻きだね」
神田「待ってください、イギリスを去る熊楠を見送ったのは高橋ですよ」
私「マダム・タッソーのところの蝋人形師に頼んで蝋人形でも作ってもらったんだろう」
神田「…先生、今の話はここだけにして、ブログなんかに書いたりしちゃいけませんよ。どう思われるか…」

ある大学教員の日常茶飯

法龍も筆まめ

2008年08月18日
 ロンドンからパリへの移動には8時間を要したと、土宜法龍は書いている。1893年のことである。手紙なら、出す時間帯にもよるだろうが、集配の時間も含めて1日半はかからなかっただろう。
 そんな条件の下で、熊楠と法龍の手紙のやりとりは行なわれた。

 手紙が来る。おそろしいほどの長文だ。それを読む。熊楠の字が独特の癖字であることはよく知られている(私なんぞ、結局これが読めなさに熊楠関西をドロップアウトするはめになった)。しかし、法龍だって負けてはいない。なにしろ熊楠が、こんな字は読めない、とねをあげたくらいだから。
 
 どうにか読んだら次は返事だ。これが、何でそんなに一生懸命なの、と聞きたくなるような熱心さで書く。時には何日もかけて書く。そして書き終えたら、昼でも夜でも出してしまう。
 しばらく休んでいると、また手紙が来る。また読み、また書く。また出す。
 最盛期には、二人とも手紙を読み書きする以外、何もできなかったのではないだろうか。これって、ほとんど手紙による果たしあいです。
 
 熊楠は名うての手紙魔だった。
 しかし、これで法龍が、私のような筆不精で、忙しさにかこつけて返事をしないか、適当にあしらうようなそぶりを見せたならば、二人の往復書簡は、こんなけた外れのものにはならなかっただろう。
 ところが、そこは天の配剤。法龍も、「猊下ほどよく手紙を書かれた人は稀であらふ」と側近が舌を巻くほど、晩年までよく手紙を書くヤツだったのである。

 そんな人間だから舌もよく回った。珍談で宿の女給(このことばも古い)を抱腹絶倒させることなどお手のもの。若い頃は、これに酒が加わり、「乱酔」することもしばしばだったらしい(この辺りは、私も親しみが持てます)。

 熊楠にあった頃には、もう飲まなくなっていたから、二人が熊楠行きつけのパブで鯨飲することはなかった。ちょっと、惜しいことをした気もする。
 

208_convert_20080818211452.jpg 洛西栂尾山高山寺にある法龍のお墓
研究ノート
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