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密教文化研究所

2008年07月03日
 私は高野山大学の密教文化研究所の専従研究所員という立場にある。部屋は研究所の二階にあり、院生たちの部屋も近く、賑やかでよい。
 この研究所の初代所長は中野義照先生である。中野先生は東京帝大で高楠順次郎の薫陶を受けた。ついでに河口慧海にもチベット語を習った。その後のことと思われるが、先生は幸田露伴にサンスクリットを教えたことがあるという。
 露伴が習ったとすれば、文人仲間の淡島寒月も冷やかし位には来ていたかもしれない。いいや、そうでなければ、話はおもしろくない。寒月はインド神話にやたら関心を持っていたからである。そうして、中野先生と慧海との関係を考えれば、寒月の次なる有名な歌もひとつ違った陰影を帯びてくるように感じられる。

        我が心遊ぶはいづこカイラーサ
           山また山の奥にありけり

 ついでに言うと、中野先生を高野山大学に呼んだのは、高楠に頼まれた高野山大学教授の長谷部隆諦であったようだ。長谷部は、ベナレスに留学して、河口慧海の「菩提樹軒」にやっかいになっていた時に、訪れた高楠に会い、以来兄事するようになった。もっとも長谷部は東京専門学校の出身だから、高楠とは以前から面識くらいはあったかもしれない。
 高楠が慧海の案内でネパールに梵語仏典を探索に行く時、長谷部は志願して同行した。あまり金がなかったので、仁和寺門跡をしていた土宜法龍に電報を打って資金を援助してもらった。ネパール探検は法龍の希望でもあり、それは昔、法龍が南方熊楠と手紙で語り合った夢の一部でもあった・・・
とまあ、こんな具合に人間関係はずるずるとつながってゆく。
 
 
高野山大学の力
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