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ムスタン 曼荼羅の旅 松井亮さんの逝去から五年

2008年06月01日
写真・松井亮、文・奥山直司『ムスタン 曼荼羅の旅』中央公論新社、2001年 
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今日から6月である。6月になると思い出すのは、故・松井亮(まつい・あきら)さんのことだ。
 松井さんがカトマンズのタメル地区のホテルの屋上から転落死してから、今月で早くも5年が経つ。写真集制作のためムスタンに撮影に行った帰り、飛行機に乗る前日の夜明けに、スヴァヤンブナートが朝日に輝くショットを狙って、この事故に遭った。
 松井さんは、コマーシャル写真が本業の写真家で、ネパールが大好きな人だった。ひょんなことからムスタン王(ネパール北西部の山岳地帯にあるかつての王国の支配者)と知り合い、仕事とは別に、寺院の壁画などムスタンの文化財の撮影を精力的に行なっていた。
 松井さんとの出会いは、共通の友人の紹介による。松井さんは自分が見たもの、撮影したものの価値を判断できる専門家を求めていた。この縁のおかげで、私は1998年と2000年にムスタンを調査旅行することができた。
 本書『ムスタン 曼荼羅の国』は、2000年の旅の一部始終を綴ったものである。
 松井さんは、江戸っ子気質の粋な人で、日本人離れした風貌の持ち主だった。こわもてと言ってよいタイプで、生き馬の目を抜くような業界でどう生きてきたかを偲ばせたが、私には常に礼儀正しく丁寧に接してくれた。食通の彼の案内で、東京の有名な蕎麦屋を食べ歩いたのも、忘れ難い思い出だ。
 松井さんから得たものはいろいろある。会えば、いつもこれからの仕事の話ばかりで、お互いプライベートなことには立ち入らなかったが、私は、18歳も年上のこの人にある種の友情を感じていた。
 松井さんの遺品の中に、私宛のものがあり、後で奥様に送っていただいた。それはトルボの5万分の1地図10数枚で、松井さんらしく、地図の並べ方が丁寧にメモしてあった。私が、「次はトルボに入ってみたい」と言ったのを、忘れずにいてくれたのだ。これらの地図は『河口慧海日記』の解説を書くときにとても役に立った。
 松井さんの49日が東京の寺であったとき、最初に「お別れの言葉」を言う役が私に当たった。その中で私は、「松井さん、また会いましょう」と述べた。今でも本当に、いつかまたどこかで会えるような気がしている。
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