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南方マンダラ

2008年05月06日
南方マンダラ・ホログラム
                南方マンダラ・ホログラム(南方熊楠顕彰館)

 南方熊楠が、真言僧の土宜法龍(どぎ・ほうりゅう)に宛てた手紙の中に描いた図が、岩崎仁氏らの手でホログラムになっている。
 鶴見和子氏が「南方マンダラ」と呼んで有名になったこの図が密教の曼荼羅とかけ離れていることは一目見れば分ることだ。しからば、この図にどんな意味が込められているのか。才人たちがさまざまな解釈を打ち出しているが、私には、申し訳ないが、いまひとつぴんと来ない点がある。
 「あれは単なる思いつきや。でも子供の落書きちゅーのはちとひどいで、ハッハッハ」という熊楠の声が聞こえそう。植芝盛平

 顕彰館でこんなポスターを見た。植芝盛平(うえしば・もりへい)は田辺出身で、合気道の開祖として知られている。熊楠と同じく、田辺の真言宗高山寺にお墓がある。熊楠、合気道、高山寺とくれば、ある人の顔が浮ぶが、これはあまりの内輪話なので、ひかえておきましょう。「内輪」の人は考えてみてください。
研究ノート

南方熊楠、田辺

2008年05月04日
 IMG_1538.jpg
            熊楠旧宅の庭  左にそびえるのは楠、奥は母屋。

 昨日、連休の渋滞を縫うようにして、田辺の南方熊楠顕彰館を訪れた。所蔵資料の確認とレジャーを兼ねたドライブである。
 旧宅の庭は新緑があふれていた。IMG_1518.jpg

           旧宅の隣にある南方熊楠顕彰館の内部

IMG_1570.jpg
♪闘う君の歌を、闘わないやつが笑うだろう、ファイト♪(ついでに見学した白浜の京大水族館にて)
 
  
 
ある大学教員の日常茶飯

明治のスリランカ留学生(2)

2008年05月02日
 ゴールフェイスの椰子30001
                ゴールフェイス・ホテル(コロンボ)の椰子の木
 
 釈興然の次にスリランカに留学したのは、臨済宗の釈宗演(しゃく・そうえん)である。
 彼は興然に半年ほど遅れてセイロン島南部の港町ゴールにやってきて、興然と合流した。「仏教の源流を探る」のが彼の希望だったようである。
 おもしろいのは、この二人が同じ僧院で暮らしながら、スリランカの仏教についてまったく違った見方をしていたことである。
 興然は、そこにブッダ在世当時のインドを見て大感激した。この感激がその後の彼の人生の方向を決める。ところが宗演は同じものを醒めた目で見つめ、決して美化しなかった。彼は、スリランカの僧侶たちを世の中の役に立たない「人民の食客」と見なしていた。イギリス人は仏教には寛容で、僧院・僧侶に課税せず、僧侶のなすことに一切干渉しないが、これも彼の見るところでは、仏教に心酔している人々を篭絡する手段であった。
 
研究ノート
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