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タタ財閥、インド航路

2008年04月02日
 今日(4月2日)の日経新聞にインドのタタ自動車が東証に上場を予定しているとの記事が載った。タタ自動車は、インド最大の財閥の一つ、タタ財閥系の自動車メーカーだ。
 
 タタ財閥は、ボンベイ(現ムンバイ)のタタ・アンド・サンズ商会から発展した。その創業者は、パールシー(ゾロアスター教徒)のジャムシードジ・N・タタだ。
 パールシーは、先祖がペルシアから移住してきたため、こう呼ばれる。インドではまったくのマイノリティだが、経済界では大きな力を持っている。

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            コルカタ市内は交通渋滞が激しい

明治26年(1893)、ジャムシードジ・N・タタが来日し、渋沢栄一ら財界の指導者たちと会って、インド綿花の輸入促進と日印航路の開設を働きかけた。当時日本の産業界では、近代的紡績工場が相次いで稼動したことに伴って、不足する原料綿花の調達を国内から海外へ切り替えることが求められていた。
 そこで日本郵船は、この年のうちに外国の有力な海運会社との競争を覚悟の上でインド航路の開設に踏み切っている。起点は横浜、終着点はボンベイである。
 これに歩調を合わせて、三井物産も同じ年、ボンベイに出張店(後のボンベイ支店)を開いた。
 翌年、その支配人として間島與喜(ましま・ともよし)という人物が赴任した。

 私がこうしたことに関心を持っているのは、明治の印度留学生たちとの関連からだ。早い話、彼らは日本郵船の船に乗ってセイロンやインドに渡り、ボンベイでは三井物産に転がり込んで間島の世話を受けることが多かった。
 彼らに対する間島のサポートは支店長としての業務の範囲をはるかに超えたもので、彼のような人がいなかったら、河口慧海も大谷探検隊も大宮孝潤(天台僧)を始めとする留学生たちもインドでもっとずっと苦労したはずである。

 

 
研究ノート
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