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新年度が始まって1週間

2017年04月10日

4月3日(月)に新年度が始まって1週間、また学内で部屋を移ったことも手伝って、落ち着かない日々を送っている。慣れないことをしていると、時間はゆっくり流れるものだ。


昨夜は気になることがあってよく眠れないので、本を読んでいたら窓の外が白みはじめた。

 

 ジラルデッリ青木美由紀著『明治の建築家伊東忠太 オスマン帝国をゆく』(ウェッジ、2015)


本書はオスマン帝国内を建築行脚した8ヶ月を中心に伊東忠太の世界旅行を追ったもので、トルコ在住の美術史家らしい知見がいろいろと示されている。あわせて参照すべき図書に、青木氏も関わった

 

  The Crescent and the Sun: Three Japanese in İstanbul. İstanbul, 2010


の図録がある。私はこれを一昨年イスタンブルを訪れた時に買った。あの時は学会がメインの短期滞在であったため、スレイマーニエ・ジャーミイすら見学する余裕がなかった。16世紀トルコの大建築家ミーマール・シナンの傑作である。その後、テロの横行でちょっと遠くなった感じもあるが、私にとってイスタンブルは相変わらず憧れの都である。

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*ガラタ橋から見たスレイマーニエ。


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吉村昭『冬の鷹』

2015年06月17日
土曜日、泉ヶ丘の紀伊國屋書店に文房具を買いに行ったついでに、何か一冊と思い、つい吉村昭の『冬の鷹』(新潮文庫)に手を出してしまった。この忙しいのに、この晩はそればかり読んでいた。この小説を読むのは初めてではない。今から30数年前、法学部の友人の先輩から、これがいいという話を聞いて、読んだことがあった。

この小説の主人公は、『ターヘル・アナトミア』(邦題『解体新書』)の実質的な翻訳者である前野良沢である。彼の生き方が、同じくこの書の翻訳・出版に携わった杉田玄白の生き方と対蹠的に描かれる。むろん著者の思い入れは、本書の出版によって功成り名遂げた玄白よりも、不完全なものに訳者として名を残すことを拒否し、世間的な栄達に背を向けて、蘭学者としての道を追究していった良沢の方に深い。前に読んだときには、私も同感だった。しかし、今回は読後感が少し違ったものになった。ひたすら自己に沈潜し、清貧に生きることは、美しいが、エゴイスティックでもある。『解体新書』そのものの価値を考えれば、「とりあえず出しちゃう」決断をした玄白さんの方がよほど偉いともいえる。また、玄白は、結果的には富と後世まで残る名声を手に入れるのだが、当初は蘭書の出版主として、良沢よりも遙かに大きなリスクを踏んだのである。

ともかく、この二人に、中川淳庵、桂川甫周を加えた学者グループの、『ターヘル・アナトミア』との静かだが息づまるような闘いは、読み応え十分である。これも(調査力も含めた)筆力だなあ。
読書ノート

諸葛孔明

2014年08月13日
もう一冊、歴史上の人物としての諸葛亮孔明を知るための好著を紹介しておこう。

宮川尚志『諸葛孔明:「三国志」とその時代』(講談社学術文庫)

本書は、諸葛亮の実像について十分な知識を与えれてくれる。宮川氏はこれを大学院生の時に書いたというから畏れ入る。宮川氏は、軍事は必ずしも諸葛亮の本領ではなかったとし、陳寿(正史『三国志』の著者)による評、すなわち彼は政治には長じていたが、奇謀には短であったという評価を大筋で認めている(p.234)。
北伐において孔明は、長駆して長安を奇襲するという魏延の献策を退け、馬謖を信じすぎて街亭を失い、司馬懿の持久戦法に手を焼いて、ついに五丈原で陣没する。長い北伐戦の中で彼の天才的策略が一度でも図に当たっていたら・・・と思うのは、彼を惜しむあまりのファン(私も)の気持ちだ。

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これは、仙台市青葉通の晩翠草堂にある土井晩翠自筆の「星落秋風五丈原」冒頭。

祁山(きざん)悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文(あや)は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病篤かりき

「星落秋風五丈原」の「星落」は「せいらく」と「ほしおつ」の両様に読まれるようであるが、ここはやはり、「星落つ」と読みたいところだ。私は、1987年に成都の武候祠(諸葛亮廟)を訪ねている。




















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佐々木健一著『辞書になった男―ケンボ―先生と山田先生―』(文藝春秋社)

2014年05月07日
10日ほど前、この本を携えて家に帰ると、映画「舟を編む」が録画してあったので、縁を感じて早速視た。視てからまた続きを読んだ。「舟を編む」は現代における1つのパラダイスを描いたものである。この忙しい時代に10数年かけて1冊の辞書を編む、しかもそれで給料がもらえるなんて、これ以上の幸せは滅多にない。

『辞書になった男』の方は、三省堂の国語辞典の編纂を巡る見坊豪紀と山田忠雄という二人の優れた辞典編纂者の人間ドラマを綿密な取材によって掘り起こしたものである。

三省堂の『新明解国語辞典』の語釈と用例にユニークなものがあることは、赤瀬川原平氏の『新解さんの謎』(文藝春秋社、1996年)の出版をきっかけに広く知られるようになったが、その前から『新明解』は日本でも指折りのよく売れる国語辞典だったし、語釈のユニークさでも際立っていたのである。

今から30年以上前、国文学者のH先生に意見を伺ったところ、先生は即座に、あの辞書には「芋辞書」など語釈や用例におかしいものがある、別の辞書を使いたまえ、とおっしゃった。
確かに、私も、例えば「時点」の用例は変だと思う。「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」
その「一月九日」が山田先生個人にとって(そしてケンボー先生にとっても)重大な意味を持つ日であった、というのが著者の結論なのであるが、もしもその通りなら、やはりそれはやり過ぎというものである。

ただ、私は、語釈に踏み込んだ意味や裏のニュアンスを記してゆくこと自体はいいことだと思っている。そういう微妙な点に、おおげさに言えば、学識のすべてを掛けるのが学者の醍醐味というものだ。H先生の忠告にもかからわず、私が『新明解』を使い続けてきた理由は多分そこにある。

しかし、『新明解』も版を重ねるごとに「普通の辞書」に近づいているようである。私の手元にあるのは第三版だが、これには「芋辞書」は載っていない。「恋愛」の語釈には、すっかり有名になった「出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら」という説明が健在だが、先日、泉ヶ丘の紀伊國屋書店まで行って確認したところ、最新版では別の表現に置き換えられていた。

ちなみに、芋辞書とは、『新明解』初版によれば、「大学院の学生などに下請けさせ、先行書の切り貼りででっちあげた、ちゃちな辞書」である(『辞書になった男』p.178)

やはり、凄い。

読書ノート

「清洲会議」

2014年01月22日
映画がおもしろかったので、三谷幸喜の原作本(幻冬舎文庫)で復習しておいた。普通はここまではしないのだが、ラストシーンが気になったからだ。
秀吉と寧が土下座して、馬上の勝家らを見送るシーンである。そこには勝家与力の利家も当然いるし、映画では滝川一益も確かいたと思う。この時、役所広司の勝家、一瞬、片頬だけ笑うと、すぐに厳しい顔に戻り、「大儀である」と言い残して去ってゆく。
これはこれとして理解できる。原作本も同じである。ただこれだと勝家が秀吉にやられっぱなしということになり、少々可哀想ではないか。そこで別のラストシーンを考えてみた。

勝家と一益に馬上で高笑いさせる。
地の底から湧いてくるような不気味な哄笑である。
思えば、会議は勝家にとっては無理な「戦」だった。秀吉の術中にはまったのも仕方がないことだ(歴史的事実というよりこの物語の設定として)。そういう無理をして滑稽な役回りを演じさせられた自分も含めて、今の状況を笑い飛ばすのである。この哄笑には、本物の戦では負けない、今度会ったら一泡吹かせてくれる、という気概も含まれている。それが一瞬、秀吉をぎくりとさせる。

こんなんでどうでしょうか。

歴史は、それから一年も経たないうちに、秀吉によって、勝家が御市の方と共に北庄で亡ぼされてしまうことを教えてくれている。非情なものである。滅びゆく者たちに最後の栄光を。ちょっと甘いかな。

読書ノート
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