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卒業式

2020年03月15日
3月15日(日)
午前10時より卒業式が挙行された。うちは毎年3月15日を卒業式の日と決めている。周知のような事情から、今回の卒業式は、保護者を招待しない、来賓を管長猊下と宗務総長にかぎるなど異例の措置が取られ、式後の祝賀会も中止された。例年、卒業生・修了生たちが弾けるのは祝賀会においてだから、やや物足りなく感じたが、今はみんなが我慢するしかない。何はともあれ、やってよかったと思ったのは、晴れ着を着た女子学生たちを見た時だった。


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高野山大学同窓会徳島県支部総会

2020年02月21日
2月18日(火)に徳島市のホテルで開かれた高野山大学同窓会徳島県支部総会に派遣されて、「高野山留学生事情」と題して1時間ほど話をさせてもらった。

難波のスイスホテル5階にあるバスターミナルから11時発徳島行きの高速バスに乗った。車で行くことも考えたが、寝てゆけるのでバスを選んだ。2時前に徳島駅前に着き、お昼に徳島ラーメンを食べた。前夜、たまたま徳島市に住んで阿波浄瑠璃を研究している日本通のアメリカ人を取材した番組を見た。その番組の中で、彼は徳島ラーメンにサービスの生卵を二個も落としてうまそうに食べていた。その店が、会場のホテルに近いと知って行ってみる気になったのである。もっとも、二個はヘビーなので、生卵は一個にし、お好みでサービスされるニンニクも、入れてもらいたかったが、これから話をする身なので控えた。
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*どんぶりに東大とあるが、これは東大工町の略らしい。

同じ番組の中で紹介されていた「遊山箱」という弁当箱も、お菓子入れにちょうどよさそうなので、あればお土産にほしいと思っていたが、眉山のふもとの「阿波踊り会館」の土産物屋が改装中だったため手に入らなかった。

総会、講演会の後、懇親会にも出させてもらって、この日はこのホテルに宿泊。翌朝、バスで大阪に戻り、1時には大学に出頭してさる会議に臨んだ。徳島には何回か来ているが、なぜかいつも時間がなく、ロープウェイで眉山に登ってモラエスの旧跡を訪ねることも、鳴門から徳島に移転した鳥居龍蔵の記念館を見ることもできないでいる。

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高野山真言宗広島青年教師会

2020年02月08日
2月6日(木)
高野山真言宗広島青年教師会に招かれて、福山市にゆき、「南方熊楠と真言密教」という題で話をさせてもらった。会場は福山駅前の天満屋裏のフロリダという元ダンスホールで、まだミラーボールも下がっていた。手作り感あふれる、なかなか結構な会場であった。僧侶以上に一般のひとがたくさん来られた。

終わって、駅前のホテルにチェックインしてしばらく休んだあと、懇親会に参加させてもらった。会長の坂田師、事務局の平山師にはすっかりお世話になった。坂田師は、熊楠について深い知識をお持ちだった。平山師は、私が前に訪ねていろいろ教えてもらった宮島の大願寺の方で、この点でもご縁を感じた。また私が高野山大学に赴任した頃に学んでおられた菅梅師、御室派全国青年教師会会長の鈴木師にもお目にかかれて、大変ありがたかった。

2月7日(金)
8時半にホテルを出て、鞆の浦に観光に行った。鞆の浦は景観保全の問題やジブリの「崖の上のポニョ」で知られるようになった港町である。瀬戸内の潮待ち、風待ちの港として古くから栄えた。福山駅前からバスで30~40分で終点の鞆港に着く。時間がまだ早かったため、土産物屋は閉まっていた。その分静かに散策できたが、往時の鞆の浦は水運や製鉄・酒造などの地場産業でそれは栄えたらしい。小高い丘の上に歴史民俗資料館がある。その一帯は鞆城の跡で、京を追われた足利義昭が住んだのもここだったようである。大河ドラマ「秀吉」では、本能寺の変を察知した義昭が、鞆の浦から水攻め中の高松までやってきて秀吉に保護を頼み、中条きよし演ずる安国寺恵瓊にとがめられるという場面があった。歴史的にはあり得ないのであろうが、なかなかの名場面だったと思う。
鞆の浦は坂本龍馬にも縁があり、龍馬が隠れたという商家もあった。いろは丸が沈んだのも鞆の沖合とのことであった。
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 *鞆の浦のシンボル、常夜灯(安政六年建設、地元ではとうろどうと呼ばれている)。

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*港に至る道。右側は、七卿落ちの際に三条実美等が宿泊したという豪商の屋敷。

鞆の浦とか、田辺とか湯浅とか、そういうところでゆっくり羽を伸ばしたい。そういえば、この間、電話でS須先生に、「君、ちょっと遊んだらどうかね」と言われた。まあ、その通りだが、それは老後の楽しみに取っておこう。

11時半には福山駅に戻り、3時過ぎには帰宅したが、出張続きで疲れがたまったのか、それからは何も手に着かず、寝てばかりいた。


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光生会の新年会

2020年01月07日
1月7日(火)
10時半から岸和田のグランドホールで開かれた社会福祉法人光生会の新年会に出席した。光生会の現相談役とは20数年前からのお付き合いであるが、新年会に出席したのは今回が初めてであった。会は盛大かつ温かく、配慮が行き届いたもので、相談役の人柄がよく現れていると感じた。うちの学生も4人ほど呼んでもらい、「ご飯を食べに」きていた。いずれもボランティアの授業で身をもって教えを受けている人たちだから、まあ、こういうのも勉強の一部である。
一言ご挨拶を、ということで壇上に立ったら、相談役が「この人は河口慧海をよく研究している人で…」とわざわざ紹介して下さった。そこで、恐縮しつつもう一言、「慧海の師匠は、岸和田藩の藩校教授だった土屋鳳洲という人です」と付け加えた。
鳳洲を調べに岸和田の図書館を訪ねたのはずいぶん前のことである。彼は学才を見込まれて、藩儒相馬九方の養子になった人で、森田節斎や「但馬聖人」池田草庵の教えも受け、二松学舎を創立した三島中洲とは友だちであった。廃藩置県後は堺県に出仕して、県の教育行政を担った。その一方、堺戎之町の自宅で漢学塾晩晴書院を主宰した。慧海が鳳洲の薫陶を受けたのはこの塾においてである。鳳洲の門下生としては第一に正木直彦を上げなければならない。与謝野寛も大和川の向こうから勉強に来ていたようである。他にもこの塾からは、堺近辺の教育界で活躍した人々が出ている。
岸和田での今の評価は分からないが、もっと顕彰されていい人物だと思っている。

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毎日新聞高野山夏季大学

2019年08月05日
8月5日(月)
3日間続いた第95回高野山夏季大学の最終日の昨日、午前9時から1時間あまり、「南方熊楠と高野山」と題して話をさせていただいた。黎明館にぎっしりの「学生」の皆さんはマナーも反応も上々だったし、毎日新聞大阪事業本部の方々の応対もぴたりぴたりと適切で、とても気持ちがよかった。こんな後味のよい講演会はちょっと記憶にない。関係者の皆さんに厚く御礼申し上げたい。

この夏季大学の始まりは、大正10年から始まった高野山涼風講座にある。時の毎日新聞社社長の本山彦一氏が発案し、時の真言宗高野派管長、土宜法龍師に相談して実現した。夏の高野山にもっと参拝客を呼ぼうという、ありがたい志から出たものという。それから回を重ねて今回で95回。おそらく戦時中の数年を除いてずっと続いてきたものと思われる。この会にこんな形で参加させてもらい、いい記念になった。

講演となると準備をしすぎて重たくなってしまう。これが近頃の私の悪い癖である。今回も思わず力が入りすぎるところ、すんでの所でこれに気づき、それからはもっぱら話す内容を減らすことに努めた。今回はこれがよかったのではないか、というのが自己分析である。

今日も堺は暑い。今日一日は大人しくして、明日から再始動したい。




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