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河内金剛寺

2019年08月02日

8月3日(土)

今週は高野山も暑い。

木曜日、河内の金剛寺を拝観に行った。乾学長が野外授業をやるというので、臨時に参加したのである。炎天下、大分日に焼けた。受講生は8人。すべて難波サテライト教室の編入生たちだ。


ハイライトは、金堂(重要文化財)に安置された大日如来、不動明王、降三世明王の三尊像(木造、平安時代末期~鎌倉時代、国宝)の拝観であった。金堂の外陣に入っただけで空気が違うと感じた。金剛寺は、南北朝の舞台としても知られている。南朝の後村上天皇は、この寺を5年間、行宮とされた。後村上天皇が月見をされたという観月亭が残っている。

金剛寺と観心寺を合わせると、「中世に出逢える町」という河内長野市のキャッチフレーズはだてではない。河内長野市から千早赤阪村にかけての一帯は、楠木一族の活動の舞台でもある。


昨日から大学講堂の黎明館で高野山夏季大学が始まった。私も明日、1時間ほど話をさせてもらうことになっている。




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密教研究会学術大会

2019年07月15日
7月12日、13日の両日、例年通り高野山大学を会場に密教研究会の学術大会が行われた。今回の目玉は何と言っても、陝西師範大学教授・同大学宗教研究センター主任の呂建福先生の特別講演「中国密教研究の諸問題」であった。ほかにも科研費の研究グループによる連続発表もあって、新味が加えられた。

呂先生は中国密教研究の第一人者であり、中国における密教研究の開拓者でもある。今回は、中国密教研究の現状や問題点などについて大局的な見地から論じていただいた。「中国密教研究の諸問題」は私の発題なのであるが、呂先生はこれに期待をはるかに超えた内容で応えてくださり、大変にありがたかった。呂先生効果もあって、学術大会はいつも以上に盛況であった。

高野山大学大学院で学ぶ二人の中国人留学生、趙新玲さんと徐東軍君が原稿翻訳に、通訳に、大活躍してくれたのも実に心強いことであった。招聘事務は私が担当したが、中国の学者を招待する場合、どのような書類が必要か、審査にどのくらい時間がかかるかなどがよくわかり、いい経験になった。

以下は、今後の参考にここ数日間の動きを略述する。

7月11日(木)
午後4時半、通詞役の趙さんといっしょに車で高野山を下り、関空までお迎えにゆく。6時過ぎに関空着。飛行機の到着は、6時55分の予定が少し遅れて7時過ぎであった。第1ターミナル2階の店でいっしょに夕食を取った後、雨の中、高野山に向かった。雨が強いのと道に慣れないのとで運転には相当神経を使った。高野山着は10時40分頃であった。
7月12日(金)
9時半より学術大会1日目が開始された。呂先生も最初から熱心に聴かれた。午後3時より呂先生の特別講演「中国密教研究の諸問題」が始まった。前もって提出していただいた原稿を趙さんと徐君が数日がかりで翻訳し、この日に間に合わせてくれた。呂先生が段落を区切って原稿を読み、その分の和訳を前半は趙さん、後半は徐君が読み上げる形で講演が進んだ。質疑応答を合わせて2時間の講演だった。そのあと、総会を経て懇親会が開かれた。この席でも先生は精力的に話をされた。
7月13日(土)
12時過ぎに学術大会が終わった。昼食は花菱。これは呂先生のご招待で、恐縮の至りであったが、感謝の意を表したいという先生のお気持ちをありがたく頂いた。午後は小雨の中、奥之院を案内した。往きは歩き、帰りはバス。しばらく宿坊で休んでもらい、5時半から学長も加わって夕食会。呂先生が中国からもって来られた白酒で何度も乾杯した。
7月14日(日)
8時に宿所に行き、京都に向かう一行を二台の車で高野山駅まで送った。まず一行を下ろし、車をよそに置いてからプラットホームに駆けつけると、ケーブルカーの発車にぎりぎりで間に合った。帰宅してブランチを食べると、あとは寝るしかなかった。
7月15日(月)
海の日だが、大学は授業日なので、朝早く御山にもどった。気がつけば、前期末も近い。他のことはほとんど何も考えずにすんだ幸せな4日間だった。

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大雨とパソコン

2019年07月04日
電車が止まったり気象警報が出たりしたときに授業をどうするかは、たいていどこの大学でも予め決められているものである。ただ、それを実行するのは人間だから常なる点検が必要となる。昨夕、事務方とそれを確認した。場合によっては午前中の休講も覚悟したが、今朝の様子からして、どうやらその必要はなさそうだ。

依然として土砂災害などが懸念されている状況でのんきなことは言っていられないが、昨日は個人的な事情でもあたふたした。PCが急にプッツンしたのである。何とかセーフモードで立ち上がったものの、いつ何時また停止するか分からない。恐いのは、大量の文書・画像のデータが失われることであるが、やりかけの仕事でデスクトップに貼り付けてあるものだって、なくなれば仕事が停滞して困る。取り敢えず、手持ちの外付けハードディスクに避難させることにしたが、これが1テラしかない携帯用で、容量が足りないときた。そこで、午後に開かれた「和歌山の部落史編纂会」総会のあと、麓の家電量販店に走った。
いまだ完全復旧には至らないが、何とかなりそうだ。これを機にバックアップ体制をしっかりしなければならない。


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高野山と高野山大学

2019年06月29日

6月29日(土)

昨日の午後4時45分から8時すぎまで、龍谷大学大宮学舎でK-GURSのチェーンレクチャーの授業を2コマ担当した。講義題目は、共通テーマに合わせた「近代の真言宗と高等教育」であった。内容は、1.高野山学道略史ー開創から明治維新まで、2.明治維新以降の真言宗諸派の動向と学校制度ー高野山に視点をおいて、3.教育体制・内容の変遷の3部立てにした。中心は2で、明治維新以後、諸宗派の離合集散の激しい中で、高野山上の学校が、伝統を守り発展させるために、いかに苦闘したかについて、かなり細かいところまで立ち至って述べた。


今月、天理では高野山の信仰について述べ、龍谷では高野山の学問について講義した。信仰と学問とは高野山の二つの顔である。いずれは定見を持たなければならないと考えていたこの二つの事柄をなんとか自分なりに整理することができた。いずれも自分から進んでではなく、指名を受けて引き受けたことではあったが、私個人にとってとてもよい機会になった。


恐縮したのは、龍大の担当者のD先生が最初から最後まで付いて下さったことである。辛抱強く聴講してくれた学生たちに加え、D先生に厚く御礼申し上げたい。



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天変地異

2018年07月30日

二日にわたるシークレット・キャンパスが終わった。台風は29日の明け方に大阪上空を通過したため、大きな影響を蒙るまでには至らなかった。

今回のキャンパス見学会は、さまざまな試みによって、今までにないものになった。今後も、高野山大学が潜在的に持っている可能性に自覚的になる必要を感じた。


それにしても、台風が東から西に進むとは、まさに天変地異である。今年はこれくらいで収まってもらいたいものだが。

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