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神々の山嶺とエベレストの亡霊たち

2016年11月08日
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*夕映えのヒマラヤ。神々の座。私は昔からこのことばに弱い。

カトマンズ空港の国内線待合室で本を三冊買った。
『エベレストの亡霊たち』、『エベレストの男―テンジン自伝』、『希薄な空気の中へ』

前に書いたように、出発前に夢枕獏の『神々の山嶺』を買った。それを旅行に持って行く積もりであったが、結局止めたのは、一つには荷物をできるだけ減らしたかったから、もう一つは、たとえすきな作家のものでも、それによって旅のトーンを支配されたくなかったからである。私はぼーっと考え事をしているだけで何時間でも過ごせる人間である。
しかし、頭には残っていたのだろう。待合室の売店に置かれていた本の中でこの3冊が目に止まった。こういう本は見つけ次第買わないと二度と手に入らないことが多い。『エベレストの亡霊たち』に邦訳があることは最近知った。

『エベレストの亡霊たち』は、マロリーとアーヴィン捜索の唯一の公認ストーリーと銘打ってある。マロリーとアーヴィンは、1924年のイギリスのエベレスト登山隊の一員で、頂上のアタックに出かけたきり帰ってこなかった。1953年にヒラリーとテンジン、否、テンジンとヒラリーが初登頂する30年近く前、1999年にマロリー・アーヴィン調査遠征隊がマロリーの遺体を発見する75年前の出来事である。

マロリーとアーヴィンのエベレスト登攀にまつわる最大の謎は、人類で最初にこの世界の頂上に立ったのは実は彼らだったのではないか、という点にある。夢枕さんの小説は、この謎を巧みに使って、深町というフリーカメラマンがカトマンズの古道具屋でマロリーのものらしきコダック・カメラを見つけるところから始まっている。カメラが焦点になるのは、もしもマロリーらが頂上に立ったならば、必ず証拠の写真を撮ったはずであり、またそのカメラが零下数十度にもなるエベレストの斜面に埋もれていた場合、中のフィルムは数十年間の劣化に耐えて決定的な証拠となりうる、という想定が成り立つからである。

『エべレストの亡霊たち』には、マロリーの娘クレアが一文を寄せていて、惻々と胸を打つ。彼女が書いているように、マロリーの遺体を発見した遠征隊は、その持ち物を調べたが、マロリーが生前、幼いクレアに、エベレストの山頂に置いてくると語った妻ルース(クレアの母)の写真はついに発見できなかった。そしてカメラも。こうして謎は謎のまま残ることとなった。

それが小説でどう料理されているかは、実際に読んでもらいたい。附言すれば、夢枕さんは『神々の山嶺』を、マロリー・アーヴィン調査遠征隊がマロリーの遺体を発見する2年前に書き終えている。しかし、この遠征隊の成果を受けて、ラストシーンに必要最小限の手を加えたという。物語と事実の交響という意味でも興味深い作品である。



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『梵字悉曇教本』が出た

2016年04月27日

土曜日、悉曇蔵研究会編『梵字悉曇教本』(USS出版)が届いた。

一島正真先生と河野亮仙さんの苦心の大冊である。中心となっているのは、近代悉曇学の大成者とも評される天台僧大宮孝潤(おおみや・こうにん)師(1872-1949)が残した教本類だ。

河野さんに連れられて、大宮師が住職を務めた茨城県河内町の妙行寺を訪ねたのは、一昨年のことである。お訪ねしたのは初めてだったが、先代住職の時代から資料では大変御世話になった。


私はこの出版に「大宮孝潤のインド」を寄稿した。これは、インド留学に焦点をあてながら、大宮師の波瀾の人生を描いたものである。


大宮師は数え年24歳でインド留学に旅立ち、前後2回、通算9年近くをインド・セイロンで過ごし、梵語と梵語仏典の研究にいそしんだ。時代は日清戦争直後から日露戦争直後までに当たる。インドでは、イギリスが植民地支配を強化する中で、次第に民族意識を高めた大衆が、日露戦争における日本の勝利とベンガル分割令を契機に、広汎なスワーデーシ―(国産品愛用)運動に向かってゆく時期である。こうした時代情況は、大宮師の留学生活にも影響を与えずにはおかなかった。

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高価な専門書です。お近くの図書館に購入希望を出しくだされば嬉しい。



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融道男『祖父 融道玄の生涯』

2014年01月28日
昨夜は夜空の星々がとてもきれいだった。その分、今朝の冷え込みは一段と厳しかった。普段なら、なかなか布団を出られないはずだが、今日は7時に飛び起きて学校に向かった。夜中の間にAさんから原稿督促のメールが来ていた。

原稿が遅うてかんわ。来月の第一週までに出してチョ。待ってるだに。

お、おい、殺す気かよ。もっとも、一年前から、あーだ、こーだ言って先延ばしにしてきたつけが回ったと考えれば、私にも非はある。研究室から返辞を出して、何とかちょっと時間を増やしてもらった。今書いている新刊紹介ができあがったら、一転がんばらせてもらおう。

この新刊紹介は次の本のものだ。

融道男『祖父 融道玄の生涯』勁草書房制作部、2013年

融道玄(とおる・どうげん)は明治から大正にかけての一時期、高野山大学の教授を務めていた真言僧である。真言宗最初の学士とされ、新仏教運動に参加し、ケヤードの『宗教進化論』を翻訳したことでも知られている。当時の真言宗きっての知識人と言ってよい。
著者道男氏は道玄師の御令孫で、お仕事のかたわら、立派な本をまとめられた。従来、道玄師については、専ら新仏教運動との関わりの中で扱われるのみで、その経歴もはっきりしていなかった。今回の出版はその欠を埋めて余りあるものである。私は去年の11月に荻窪で融さんご兄弟にお目に掛かっていろいろ教えて頂いたので、年末の出版を楽しみにしていた。最近この本を多めに送って頂いたので、大学内外に配り歩いている。
こういう記録はしっかりした形で残すべきものだ。




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ダライ・ラマと日本人

2012年12月10日
年末も近いのに、出すべきものも出さないで何をやっているのか、と叱られそうなので、こっそりお知らせするが、

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徳間のTOWN MOOKから『ダライ・ラマと日本人』が出た。先に紹介した『宗教の事典』は25000円+税だから、お近くの図書館に購入希望でも出してもらえればありがたいが、こっちの方は860円という敷居の低さでありながら、ダライ・ラマ法王のお言葉と田村仁氏の美しい写真が満載で、松長有慶猊下も一文を投じておられるという、実にリーズナブルな出版である。

学術的なバックアップは田中公明、石濱裕美子、合田秀行の諸先生と私がやっている。私の受け持ちは「チベット仏教とは何か?」というパートで、企画がムック的というのか、どんどん図式にあてはめようとしてくるのに最初のうちはちょっととまどったが、最終的にはまあまあの形に落ち着いたと思っている。

田村氏の写真の中には、先月4日にパシフィコ横浜で撮られたものも含まれている。私は前日の夜に鶴見駅で編集担当のS本氏と会って打ち合わせをしており、まだその時には少なくとも私の分はできていなかった。それから一ヵ月で本が店頭に並ぶのだから、その腕力は並ではない。新潮新書の『傷ついた日本人へ』の作り方とはまた別の意味で驚かされた。

追加:一つ忘れていたが、S本さんは『傷ついた日本人へ』に感動してこの企画を立てたのだという。こうして縁はつながってゆく。

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宗教の事典

2012年11月08日
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朝倉書店から山折哲雄先生監修の『宗教の事典』がついに出た。
私は5人の編者の中に名を連ねている。

4月からゲラの校正に無茶苦茶時間を取られた。これまで何回か触れた、真っ赤っかにし続けたゲラというのはこれのことである。赤ペンを入れるだけのスペースがなくなって、あちこちに紙を張り付ける。それを送った後で、校正漏れに気づいて、メールでデータを送信する。これの繰り返し。ゲラの大部分は今私の手元に戻っているが、神棚にでも上げて、今後こういう段取りの悪い仕事をしちゃあいかん、という反省材料にしようかと思っている。

編集担当のK氏も、よく我慢して確実な仕事で応えてくれたものだ。
嬉しくないわけはないが、これで今年は終わり、とならないようにもう一仕事しなければ。

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