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日記に読む近代日本5 アジアと日本

2011年12月13日
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昨日届いた。すっきりしたいい装丁である。裏表紙には次のようにある。

「帝国主義の時代、アジアと日本のはざまで活動し交流を深める人たちがいた。
竹内好・河口慧海をはじめ、人類学者、実業家、アジア人留学生…。
民間レベルの外交に活躍した人々に光をあて、
知られざる波瀾の生涯を描く。」

なかなかの名調子である。前にも書いたが、私は本書で「河口慧海日記」と寺本婉雅の「蔵蒙旅日記」の2編の紹介を担当している。寄稿をお勧め下さった学習院大学の武内房司先生(本巻の編者)に感謝。
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乾燥標本収蔵1号室

2011年08月17日
忙しい時ほど、仕事と無関係の本が読みたくなってしかたがない。こういう経験を持っている人は少なくないだろう。

買いました。リチャード・フォーティ著『乾燥標本収蔵1号室』NHK出版、2011年。
カバーには次のように謳われている。

古生物学の世界的権威である著者が、30年間を過ごした古巣の素顔と、そこに生息する浮世離れした住人たちの姿を、軽妙な語り口で綴った「大英自然史博物館全史」

なんでも著者は三葉虫研究のスペシャリストだとか。どうです。ちょっと読みたくなってくるでしょ。

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*熊楠も出入りしたサウスケンジントンの大英自然史博物館(大きすぎて、この距離からだと全貌がファインダーに収まらない)。去年の2月にはなぜか門前を素通りしただけに終わった。次回は必ず行かねばならぬ。

第1章の初めにはこうある。

 人生は記憶という名の館長が管理するコレクションで成り立っている。人は思い出や出来事を拾い集めて保管し、半ば忘れ去り、あるいは心の奥の棚にしまい込む。なかには思い出したくないこともあるが、そうやって保管されたもののすべてが、よくも悪しくも自分という人間をつくり上げている。

なかなかの名調子ではないか。いつかこんな感じの本が書けたらと思う。「浮世離れ」した生活をしている点は、こちらも同じなのであるし。

*ダライ・ラマ法王14世の大阪・高野山大学での講演と法話についての簡単な内容紹介が、高野山大学のHPに載ることになった。いつからかは分からないので、興味のある人はウォッチしておいてもらいたい。
*昨日、タ・タイチョ―宅を見舞ったら、ネパール土産の紅茶をくれた。タ・タイチョ―、いっぺんメールください。アドレス帳が見られない言うたでしょ。
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日記に読む近代日本

2011年08月16日
日記に読む近代日本

来月から「日記に読む近代日本」というシリーズ(全5巻)の刊行が始まる。版元は吉川弘文館。その第5巻「アジアと日本」(武内房司氏編)に「河口慧海日記」と寺本婉雅の「蔵蒙旅日記」について書かせてもらった。

同巻では、人類学者・民俗学者の伊能嘉矩の「台湾踏査日記」、人類学者鳥居龍蔵の妻鳥居きみ子の「蒙古行」、清末民初の革命家で北一輝とも親交があった宋教仁の日記などおもしろそうな日記が多数紹介されることになっている。

そういう中に「河口慧海日記」が入ったのも嬉しいが、慧海は何といってもビッグネームである。寺本婉雅という慧海に比べればはるかにマイナーだが、きわめて重要な人物がこういう形で紹介できたことに喜びを感じる。

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樅ノ木は残った

2011年04月20日
ある雑誌に、(震災後の)今だから読むべき本の特集があって、ある作家が山本周五郎の『樅ノ木は残った』を挙げていた。大好きな小説である。つられて就寝前に寝床でまた読み始めた。若い頃には腑に落ちなかった点がよく理解できるような気がする。

この小説は「伊達騒動」として知られる仙台藩の内紛を扱ったもので、主人公の原田甲斐は、歌舞伎では仁木弾正なる悪役に見立てられているが、この小説では、伊達家分割をたくらむ伊達兵部やその背後にいる酒井雅楽頭の策謀から我が身を犠牲にして藩を守る人物として描かれている。

以前、仙台市博で寛文事件についての講演を聴いた。その時は、周五郎の解釈はやはりちょっと無理があると思った。まあ、小説の世界と史実とは自ずから別ということである。

私がこの小説を初めて読んだのは高校生の時で、すでにNHKの大河ドラマを見た後である。だから原田甲斐は平幹二朗、伊達兵部は佐藤慶のイメージから逃れられなかった。しかし、大分時間が経った今では、原田甲斐は原田甲斐で、他の誰でもない。

NHKのドラマは、最初に原作にはない甲斐の青春編を10回以上付け足している。山番の娘おたよ(栗原小巻)が登場するのはこの部分で、甲斐との仲を引き裂かれて精神のバランスを崩した彼女が握り箸で飯をかき込むようなシーンが話題を呼んだと記憶する。しかし当時から、立派な原作があるのに、なぜこういうものが必要なのかという批判もあった。私も原作通り、ずばりと切り出した方がよかったと今でも思う。

物語のクライマックスは、酒井雅楽頭の屋敷で開かれた評定の最中に、甲斐、伊達安芸を初めとする伊達家の重臣4人が、雅楽頭の放った刺客によって斬殺されるシーンである。これは小説でもテレビドラマでもすさまじい迫力であるが、いずれにおいても甲斐は女の名前らしきものを呼んで絶命することになっている。

父は、これは「おたよ」と言ったのだと解釈した。私は、おたよは原作には出ないことを知っていたので、そんなはずはない、「うの」(吉永小百合)と言ったのだと主張した。つまらない争いであったが、原作で確認すれば、やはり「うの」以外ではないと思われる。ただ、大河の一年分をNHKの創作部分も含めて一つの作品と見るならば、「おたよ」でも構わなかったと今になって思う。
ただおたよが「くびじろ」という大鹿の角にかけられて死んだことにしたのは明らかに失敗であった。というのも、甲斐が執拗にくびじろを追う理由がおたよの敵討ちのようになってしまったからである。その結果、「追う者と追われる者との間に、対等の条件ということはない」という重要な言葉の意味も曖昧になってしまった。

甲斐は、大きな困難を孤独の中で堪え忍んでいる人間である。しかし、それは武士だから、あるいは伊達家の重臣だからそうしているというわけではない。およそ人が生きるということはそういうことではないか、というのが作者のメッセージであろう。他人からはえへらえへらしているようにしか見えないかもしれないが、実は私もそう感じながら生きている。







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高所プロの本が出た

2011年02月17日
高所プロ
総合地球環境学研究所のプロジェクト「人の生老病死と高所環境」(高所プロ)の本が出た:

奥宮清人編『生老病死のエコロジー チベット・ヒマラヤに生きる』(昭和堂)

これは高所プロがチベット・ヒマラヤの三箇所で実施している調査研究の中間報告的な出版で、20人もの研究者が共同執筆している。中心となるテーマは、チベット族の高地環境に対する生理的、文化的適応を探るというもの。

私は「青海地方とチベット仏教」の一文を寄稿しているが、このプロジェクトではアルナーチャルの班に属している。医学、農学、植物学、地質学など、専門の違う仲間たちから、こちらにはない視点をじっくり学ばせてもらおうと思っている。
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