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いさら井

2017年05月07日
5月6日(土)
嵐電に乗って、広隆寺に行った。霊宝殿入口の受付で拝観券を買ったついでに、「いさら井はどこにありますか」と聞くと、京都弁で次のような意味のことを言われた。

「いさら井なら、形だけのものが駐車場の外にあります。学者のみなさんはいろいろ言われますが、意味は辞書にある通りです。ここらは昔、井戸がたくさんあって、いさら井と呼ばれていたんです。学者は、自分の説を立てないといけないのか、いさら井はイスラエルから来たなどと言いますけど、私らからしたら、まったく関係ないことだと思います」

すっかり見透かされた心地がして、
「そうですか、参考になりました」
と素直に頭を下げた。

実は広隆寺に行く前に、東どなりの大酒神社を見にいっているし、三柱鳥居もあれば見たかったのであるが、それを言うとすっかり正体が露見する気がしてやめた。

この人が言っていることの方が私も正しいと思う。だいいち確たる証拠が何もないのである。にもかかわらず、広隆寺=ネストリウス派キリスト教会説が地下水脈のように言われ続けている。このお寺にとっては迷惑な話なのかもしれない。
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*小雨の広隆寺境内。
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インド国立博物館

2017年04月05日

デリーに行ったら必ず訪れたいのが、国立博物館(National Museum)である。この博物館の呼び物のひとつが、19世紀にネパール国境に近いピプラーワーから発掘された仏舎利(仏陀の遺骨)である。仏舎利は現在、タイ政府から寄贈された黄金の厨子に安置され、出土した2個の舎利容器とともに展観に供されている。


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*仏舎利を礼拝するスリランカ人たち


ピプラーワーから出土した仏舎利は、まずシャム(現タイ国)に分与された。そしてその一部が、ラーマ5世の好意で日本仏教界に贈られた。それは、名古屋の覚王山日泰寺に安置されて現在に至っている。


今回はインダス文明の遺物を中心に2時間ほど見学した。2時間ではまったく足りないが、では何時間あれば十分なのかと聞かれても見当が付かない。切りがないのである。次回は何かテーマを持って来ようと心に誓って博物館を出た。




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横浜開港資料館

2017年04月01日

3月28日(火)、29日(水)の両日横浜・東京に出張した。

最初に訪れたのは神奈川県庁の向かいにある横浜開港資料館である。目当ては、ここに収蔵されている19世紀フランスの雑誌である。こういうものは、いくつかの大学にマイクロフィルムで所蔵されているが、現物を見ることができる場所はそうあるものではない。


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*資料館の旧館は旧英国総領事館の建物である。

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*ここは1854年3月31日に日米和親条約が締結、調印された場所でもある。中庭の玉楠(たまくす、タブ)は、当時の記録画にも描かれた由緒あるもの。


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*旧館内の壁に薩英戦争記念銘板がはり付けてあった。薩英戦争(1863年)で戦死したイギリス将兵を追悼したもので、艦毎にその名前が刻まれている。筆頭は、旗艦ユーリアラス号の艦長ジョスリング大佐である。故国から遠い極東で命を落とした人々には気の毒だが、薩摩優勢に終わったこの戦いが維新回天に繋がったことを思えば、日本人としてはむしろ薩摩兵児たちの勇戦を讃えたい。またこの時、イギリス艦隊がロケット弾で鹿児島の町を焼いたのは非難されるべき蛮行である。


この資料館の地下の閲覧室で、Le Monde illustréを調べて複写を頼んだ。他にも資料館発行の書籍を二つ買って、いずれも「当たり」だった。5時、資料館を出て、小雨の中華街で夕食を取った。それから湯島のホテルに向かった。翌日は、所用を済ませた後、神田の一誠堂で本を買って帰途についた。


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フマユーン廟

2017年03月31日

22日(水)フライト時間は午後11時10分なので時間はたっぷりある。午前中、タクシーでフマユーン廟を見にいった。フマユーンはバーブルの息子で、ムガール帝国第2代皇帝。著名なアクバルの父親である。彼を葬ったこのフマユーン廟は、有名なタージマハルにも影響を与えたといわれるインド・イスラーム様式の名建築である。

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WBCに戻ってランチを食べた。5時過ぎには、わざわざサンドイッチを作って出してくれた。7時、精算を済ませてタクシーで空港に向かった。今回はWBCとN師にすっかり御世話になった。


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*風が吹くと、赤い花を着けたインド菩提樹から、さらさらと葉が落ちる。10日ほどで新緑に生え替わるらしい。

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「日印関係における仏教」カンファレンス

2017年03月30日

「日印関係における仏教」カンファレンスは、3月17-18日の両日、ニューデリー、スコープ・コンプレックスのタゴール・ホールで開かれた。主催はサムッタン・ファンデーションで、ジャパン・ファンデーションが共催している。招集者で司会者はデリー大学東アジア研究科の准教授ランジャナ・ムコーパディヤーヤ先生である。

17日10:30から開会式が、インド中央政府のキレン・リジジュ内務大臣、在インド日本国大使を始めとする来賓を迎えて、賑々しく挙行された。リジジュ閣下は、出身はアルナーチャル・プラデーシュ州のウェスト・カメンで、インド初の仏教徒の国務大臣である。


その後に始まった各セッションより、日本人のスピーカーのみを列挙しておこう(敬称略)。

 蓑輪顕量(東京大学)Longing for India: Japanese Buddhists and India

 佐藤良純(大正大学)Indian Deities of Buddhism and Hinduism in Japan: A Historical Study

   奥山直司(高野山大学)Recovery Movement of the Bodh Gaya Temple since 1891 and Japanese Buddhists: On Shaku Kōzen and the Shingon Sect

  外川昌彦(東京外国語大学)Japanese Buddhist and Dharmapala's Bodh-Gaya Revival Movement: Shaiva Hindu Mahanta and the Religious Policy of the British Indian Government

  金澤豊(龍谷大学)Across 'Engaged Buddhism'-New cross linking between Japan and India after 11/March/2011

  別所裕介(京都大学)The policy of "Representing Buddhism": A Comparative Study of Buddhist Heritage Development by Japan and China


セッションとセッションの間には必ずティータイムとランチタイムがはさまれ、インドらしいゆったりとしたペースで進んだ。初日の夕方にはコンノートプレイスのラージダーニーで懇親の夕食会があった。二日目夕方のディナーはYMCAで開かれた。

 会場にはMさん夫妻やWBCのN師も顔を見せた。カンファレンス全体がとても刺激的で勉強になったが、特に印象に残ったのは、ランジャナ先生の下で勉強しているデリー大学の学生たちの姿である。彼らはマドヤプラデーシュ、アッサムなどインド各地から来ていて、民族もいろいろのようであるが、そろって優秀でいかにも気立てがよく、とても好感が持てた。


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「日本語は1年半勉強して、今N4です」

「将来は日本に留学したい」

「できれば京都か大阪に行きたいです」

彼らこそ日印関係の未来を担うホープたちだ。最近は東アジア研究の分野でも中国や韓国のプレゼンスが大きくなっている気がする。そういう中でランジャナ先生とその学生たちの存在は極めて重要だと思った。

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*会場でのランチ

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