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蘇州

2017年10月22日

「一日早く行って蘇州で遊びませんか」

「うーん、蘇州か、悪くないな…」

頭の中ではすでに「蘇州夜曲」が鳴っている。というわけで、月曜日の出発となった。


10月16日(月)

9時40分に関空のHカウンター前でチョウさんと落ち合い、11時55分発の中国南方航空機で出発。フライト時間は1時間半程度である。上海は近い。甫東空港でDさんの出迎えを受け、車で蘇州に向かう。驚いたことに、Dさんはわざわざこのために北京から来たのだという。おまけに私のために大きなお土産を抱えて。中国人の友だち付き合いと接待(おもてなし)とはこういうもので、日本人とはかなり感覚が違うのである。ありがたいことであるが、同時に注意しなければならないことだとも思う。


地図で見ると、蘇州は上海のすぐ隣りだが、高速道路を乗り継いで2時間以上かかった。それも上海が巨大だからである。4時過ぎに江蘇省に入る。この日の宿はヴィエナ・クラシックホテル。ネオ・バロック様式とでも言ったらいいのか、ドームを持つ西洋建築である。蘇州は「東洋のベニス」とは聞いているが、なぜヴィエナ(ウィーン)なのか分からない。そういえば、周囲にも西洋の有名建築を模したような建物が並んでいる。ほかの場所でもロンドンのタワーブリッジによく似た建物を見た。これが蘇州に限ったことでなく、中国の主要都市はみな似たような状況だとすると、まったくすごいことになっているわけである。


この日の夕食は松鶴楼菜館。蘇州第一の名店という。そこの個室で10人ほどで食卓を囲んだのだが、いったいどういう関係か最後まで分からなかった人もいた。とにかく、私は一座の「老師」ということになっているので、紹興酒で乾杯、乾杯である。幸い、チョウさんが、「皆さん、先生が飲み過ぎないように心配してますよ。1回に飲むのはちょっとでいいんです」と耳打ちしてくれたので助かった。

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*上海蟹は有名だが、実は蘇州の陽澄湖で取れる陽澄湖蟹が最高級なのだそうで、それがこれ。三匹目は遠慮した。      

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中国菓子がいっぱい

2017年10月22日

10月22日(日)

最終日の19日(木)、甫東空港に行く前に、見送りの車に外灘(ウェイタン)に寄ってもらった。有名な上海の旧租界(バンド)である。上海は経由地として何回か通っているが、バンドには来たことがなかった。時間の関係で車窓からの見物になったが、こんなところだということが分かって一応満足した。

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*外白渡橋からの眺め


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外灘北端の外白渡橋を渡ると、アスター・ハウス・ホテル(浦江飯店)がある。1846年創業の老舗ホテルだ。その近くの中国銀行で同行者が両替をしている間に、向かいのセブンイレブンでお菓子を物色した。長女に、中国製ポッキーを各種購入してくるように命じられていたためである。今回の中国旅行で驚いたのは、キャッシュレス化がすごい勢いで進んでいるらしいことで、このコンビニでも札を受け取るかどうかちょっと心配したが、無事お釣りをくれた。その後、空港の中のお土産屋で別のポッキーとプリッツを見つけ、これも購入。蘇州でもらった中国菓子も加えると、こんなお菓子の山ができてしまった。

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*プリッツの上海ガニ味が最高のようで…

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當麻寺

2017年08月13日

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有名な當麻曼陀羅は中将姫が蓮糸で織ったと伝えられる阿弥陀浄土変相図だ。


8月12日(土)

午前中は近所の喫茶店でレポートを読み、昼食後、當麻寺に行く。當麻寺は二十数年前に一度行ったきりで、近所を通るたびに、もう一度訪ねておかなければならないと、ずっと思ってきた。この寺は奈良県葛城市の市域にあり、南阪奈道路を使えば、家から40分もかからない。

曼陀羅堂、講堂、金堂、奥の院と順番に拝観して、最後に中之坊に入った。ここは、飛び石伝いにいくつかの庭を巡りながら、諸堂を参拝してゆく仕組みになっている。

ぼたん園の中に折口信夫の歌碑を見つけた。夏草におおわれ、説明板がなければ、見過ごしてしまうような石碑である。

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 ねりくやう すぎてしづまる寺のには

  はたとせまへを かくしつゝゐし 

               釈迢空


説明板によると、折口は少年時代の一時期、この中之坊にいたことがあるという。事実とすれば、彼には、この寺を内側から眺める視点があったと考えてよさそうである。

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*金堂と講堂。日盛りでも、すがすがしさが感じられる。


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*門前町には古い家並みが残っている。


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*「ふたかみ」という食堂に入ってお茶を飲んだ。和菓子とセットで600円。なかなかおつな物であった。「ふたかみ」とはもちろん、當麻寺の背後にそびえる二上山のことである。二上山、當麻寺、折口信夫とくれば、小説『死者の書』を想う人も多いだろう。しかし、當麻寺はその素振りも見せていない。飛鳥時代から続く古刹の余裕であろうか。

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奥之院スペシャルツアー

2017年06月27日

6月27日(火)

昨日、学内で和歌山人権研究所主催の会合があった。今日はその関連で奥之院ツアーが行われた。私は案内はするが、ちゃんと案内された記憶はない。今回は奥之院に詳しいK氏がガイドだと聞いて、勉強のために参加した。参道から逸れて、蚊と戦いながら藪をこいでゆくような無茶なツアーだったが、すこぶるためになった。

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三昧聖たちの墓


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山積みにされた一石五輪塔


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落ち葉に埋もれた石仏たち


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伊達政宗の五輪塔を囲む殉死した家臣たちの五輪塔


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五輪塔は、大きいのから小さいのまで、内刳りをした石材をただ積んであるだけ。


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信州真田家供養塔。真ん中が真田信之の正室小松姫の五輪塔である。砂岩でできており、その産出地は今の大阪府南部の泉南地区であるという。そこで加工されて、高野山に運び込まれたと考えられる。







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地獄大夫

2017年06月18日

6月17日(土)

嵐電に蚕ノ社(かいこのやしろ)というかわいらしい名前の駅がある。蚕ノ社は近くの神社の名前であり、正式には木嶋坐天照御霊(このしまにますあまてるみたま)神社という。本殿東側に織物の祖神を祀る蚕養(こかい)神社があり、蚕ノ社の名はこれにちなんでいる。

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そこに三柱鳥居を見に行った。これは文字通り、三本柱の珍しい鳥居で、三方から拝めるようになっている。これをネストリウス派キリスト教と関係づける説が前からあって、この神社の説明板にも「一説」として紹介されている。私の前に、カップルが来ていて、写真を撮っていた。ひょっとすると、心霊スポットのひとつとされているのかもしれない。


帰途、京都駅まで行き、伊勢丹7階のミュージアム「えき」で河鍋暁斎展を見た。3月に東京に行った折、渋谷のBUNKAMURAまで行く気力がわかなかったのを、この機に取り返したのである。全部よかったと言っていいが、なかでもポスターにも使われている「地獄大夫」はすばらしかった。図録に加えて、絵はがき、一筆箋など「地獄大夫」グッズを買って帰った。帰りの電車の中で図録の解説を見たら、地獄大夫は泉州堺は高須の遊女ということになっている。何だ、ご近所じゃないか。

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