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唐都長安1400年国際学術検討会

2018年06月25日

学術検討会(日本でいう学術大会)は6月18日、19日の両日、曲江賓館(西安国際会議中心)で盛大に開催された。ロシアからの出席者が多く、逆に日本からの参加者は、時期的に難しかったのか、私を入れてほんの数名だった。


大ホールでの開会式は、シルクロードなど通じた唐代の文化交流を謳い上げた壮大な映像で始まった。その中で奈良、京都、阿倍仲麻呂など、「日本」がしばしば言及されたのはちょっとした驚きだった。もちろん、いずれも周辺諸国が唐の文化の移入に努めた例として取り上げられたものだ。


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*会議場のエントランスホール         

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*開会式前の大ホール

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*これは西安の青龍寺境内に立つ空海記念塔の映像。


この日、私はうんと早起きをして発表原稿の短縮に努めた。私の拙い経験から言うと、中国の学術検討会は、一人当たりの発表時間が日本よりもかなり短く、たった5分の場合もある。5分では要旨を述べるのが精一杯だ。今回もどうもそうらしい。実は乾学長の原稿を預かって西安に来た。参加予定だった学長が急に来られなくなったため、代読を引き受けたのだ。そのため短縮するのは学長と私の二人分の原稿だ。幸い7時前にはこの作業が終わり、落ち着いて朝食を取ることができた。

午前中は記念イベントで終わり、発表は午後2時半からはじまる第三部会「大唐盛世文明と中外文化交流」においてであった。私の通訳は、初めはロ先生の学生のWさんとなっていたが、実際に会場に行ってみるとプロの同時通訳者が二人も待っていた。

 乾龍仁「空海が長安で学んだ密教」

 奥山直司「高野山大秦景教流行中国碑の由来と特徴」

この二つを立て続けに読み、そのため多少ばたばたしたが、私の仕事を終えた。発表に一区切りつくと、コメンテーターがまとめてコメントした。その中には私の発表に対するコメントもあった。7世紀に長安に建立された景教碑が、「時空を超えて」、しかも西洋の女性によって、日本の高野山に再建されたことの驚きに触れ、文化交流のあり方として興味深いという趣旨のものであった。


1日目が終わって、回民街に食事に出たことは前に書いたとおり。2日目は、10時過ぎまで発表を聞いた後、独り、用意して貰ったタクシーで空港に向かい帰途に就いた。


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「長安と世界の対話」

2018年06月24日

17日の夜、歓迎の夕食会の後で、バス数台を仕立てて、大明宮(唐朝の政治の中心)遺跡で開かれるアトラクションを見物に行った。名付けて「大唐盛世唐音唐詩吟誦雅集」。その名の通り唐詩の吟誦を中心とする音と光のページェントであった。あいにくの雨でビニール合羽を着ての鑑賞となったが、ドローン数百機で飛翔する鳳凰を描き出すなど、壮大でなかなか結構な催しであった。終始側について案内してくれたW君によれば、出演者も豪華な顔ぶれだったという。

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*背景に蛍のように群れているのがすべてドローンだった模様。


このイベントと同様、私が参加した学術検討会も、618年に唐が建国されてから1400年の祝賀行事「長安と世界の対話1400」の一環であった。

軍事力による威嚇や経済的な支配でなく、寛容と相互理解を基調とする交流と文化の創造が進むならば、大変結構な話である。




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涼皮(リャンピー)

2018年06月23日
6月23日(土)
朝から配達やリフォームの追加工事があって、なかなかおちつかない。

「中国は食べ物がおいしいから、そこでしか食べられないものをたくさん食べてきて」というのが、中国好きの家人のことばであった。
学術検討会1日目の夕方、回民街に出かけたメンバーは、ロ先生、リ先生ご夫妻、ロ先生の学生のWさんとW君、京都のS氏、旅行社のHさん、そして私である。
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白酒を飲み過ぎないように用心しながら箸を進める。節々で乾杯があるが、昔のように一気飲みしなくても失礼ではなくなったらしい。そういうときには「随意(シューイー)」と言えばいいと教わった。写真のスパゲッティ様のものは涼皮(リャンピー)。ネットで調べると、中国では人気の軽食で、いろいろな種類があるようだ。これは西安ローカルか、回民オリジナルかもしれない。

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19日、わけあって空港に早く行きすぎて時間があまったので、空港内の回民食堂でAランチを頼むとこんなを渡された。この写真を見たチャオさんが、「これおいしいんですよね」。私には、たまたま差し向かいで座った空港警備員の女性が食べていた麺の方がはるかにおいしそうに見えた。

最後は機内である。
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青島の空港内で出国手続きをし、免税店でお土産に茶碗を買って一安心。6月19日は私の誕生日なので機内食に青島ビールで静かに祝杯を挙げた。





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公式行事の日

2018年02月07日

1月30日 朝、荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトする。私は今夜、公式行事が終わったら一人だけ早く帰国するのである。2月2日に通信制大学院の修士論文の口述試問がある。飛行機が遅れた場合でも何とかできるように、1日の余裕を見たのである。

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*インド門の朝


最初に行ったのは、在ムンバイ日本総領事館である。私にとっては3年ぶり、2回目の訪問である。ここで経済関係のプレゼンテーションを見てから、別室で昼食会。発言の機会をもらったので、これまでの経過を話し、知事にさらなる協力をお願いした。次は州政府訪問。続いて州知事公邸訪問。アラビア海に面した広大な敷地であった。最後はメインイベントである州の迎賓館での行事に列席。それが9時過ぎに終わると、私はO西さん、K課長に見送られてムンバイ空港の第二ターミナルに直行した。

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*マリンドライブの夕(バックベイを隔てて高層ビル群が見える)

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*知事公邸の黄昏


香港での乗り換え時間が1時間10分しかないのが懸念材料だった。飛行機が30分遅れるなどざらである。香港空港は大きい。乗り換え時間は多い方がいい。同じ会社だから大丈夫だろうとは思うものの、多少の緊張は伴う。ところが驚いたことに、飛行機は30分も早く香港に着いてしまった。あとは余裕であった。


翌日、午後大学に出て、5時限目に補講をひとつ。次の日は試問、試問、試問、補講、判定会議というスケジュールで、いっきに現実に引き戻された。


追加:今回も和歌山県職員のみなさんに大変御世話になった。彼らの努力によって、マハーラーシュトラ州では、日本といえばまずWakayamaというほど和歌山県のプレゼンスは増している。





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ムンバイ見学2日目

2018年02月07日

2月7日(水)

朝大学に来ると、雪かきしていた用務員さんが、「冷たいですねえ。さっき、ボイラー室の前でマイナス7度でした」という。「春は近いですよ」と答えた。


1月29日 午前中、本山から参加のK課長といっしょにマハーラクシュミー寺院を訪ねる。ムンバイ最古のヒンドゥー寺院だという。門前町が賑わっていてまことに結構なお寺であった。次は日本山。私は連日の訪問になるが、一度K課長を案内したかった。一種の幼稚園と考えていいのだろうか。子どもたちが歌で歓迎してくれた。

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昼食はコラバまで戻って、「フード・イン」で定番タンドリチキンを食べた。こちらは別に「フード・イン」でなくてもよかったのだが、ウメーシュさんは外国人を案内する適当な場所が他に思いつかなかったのであろう。インドに来ると食べ過ぎて困る。なお、こういう費用はすべてMTDC持ちである。中国と同様、お客さんには金は払わせないのである。ということはつまり、彼らが高野山に来た時には逆のことをしなければならない。


食後はまずVT、つまりヴィクトリア・ターミナス(旧称。現チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)を見学した。3年前にもこの建物の前で写真を撮ったのだが、その時は中には入れなかった。ウメーシュさんに聞くと、大丈夫というので、特にリクエストしたのである。時刻は3時頃で、駅の構内は比較的空いていた。これがラッシュアワーには前へ進むのが困難なほどの混みようだという。

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*建物が大きすぎてこれだけ離れても全部は入らない。

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*壁の動物・怪物たちが迎えてくれる。

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*構内の柱の根本もこの通り。

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この有名なターミナスは、明治のインド留学生たちもよく利用した。ベナレスで熱病に罹った清水黙爾(しみずもくじ)が、大宮孝潤(おおみやこうにん)とデイヴィッド・スプーナーに付き添われて着いたのもこの駅、マドラスから転学してきた東温譲(ひがしおんじょう)がボンベイに第一歩を印したのもこの駅である。


VT見学の後は、ボンベイ・ストアという物産店に寄ってもらって、お土産に象の絵を買った。ホテルに戻ると、明日の公式行事に備えて通訳として参加のMさんが着いていた。夕食は、山下さん、Yさん親子、Mさん、K課長といっしょに再び「フード・イン」で食べた。この店はホテルから歩いてゆけるので何かと便利なのである。多く頼みすぎて食べ残しが出たのが残念だった。タンドリチキンはハーフで丁度いい。


部屋に戻った後は論文に目を通す。帰国後、一日おいて2月2日に口述試問があるので、私は論文を3本も鞄に入れてインドまで来たのである。どれも大作なので、読むのに骨が折れる。なお、このタージマハル・パレスはサービスが行き届いていて実に心地よかった。例えば、レストランで朝食を食べていると、「味はどうか」とか「何か他に入り用はないか」などと尋ねてくる。それがちっとも煩く感じない。あくまで上品で控え目である。滞在2日目にDo not disturbのボタンをまちがって押してたために、部屋の掃除がされなかった。別に気にも留めていなかったが、夜になって、従業員がやってきて、掃除をしましょうか、と言う。高級ホテルとしては当然かもしれないが、ちゃんとチェックしているのである。

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*タージマハル・パレスのロビー


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