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ふむふむ、なるほど

2019年12月25日
12月25日(水)
昨夜、NHKラジオの「聞き逃し」でシドティに関する談話を聞いた。ジョヴァンニ・バッティスタ・シドティは、シチリア・パレルモ生まれのイエズス会宣教師で、18世紀の初めに屋久島で捕縛され、江戸に送られて新井白石の尋問を受けた。白石はこれを基にして『西洋紀聞』などを著した。シドティは「最後の伴天連」とも呼ばれる。

以前、熊楠の高山寺書簡をやっていた時に、熊楠がこの人物にとても同情的であることに強い印象を受けた。しばらく前、テレビ番組で、シドティが幽閉されていた東京小日向の切支丹屋敷跡から人骨3体が発掘され、DNA鑑定の結果、そのうちの一つがシドティのものであると結論付けられ、頭蓋骨から顔の復元まで試みられたのを見た。そして今度の談話である。なんでも、同郷のカトリック神父が彼に興味を持ち、研究書を著した、それがこの度日本語に翻訳されたとのこと。

切支丹屋敷跡は茗荷谷駅の近くのようだから、何かの折に訪ねるのも一興である。
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枕元に小谷汪之『中島敦の朝鮮と南洋』(岩波書店)を置いて、寝しなに少しずつ読んでいる。以前にも書いた中島敦の「光と風と夢」、そしてその主人公スティーブンソンの南洋生活への興味からであるが、これとの関連で、明治17年の海軍練習艦「筑波」による遠洋練習航海に関する記事をネットで読んだ。それがちょっと驚くような内容だった。脚気対策のための実験航海であったというのである。これを推進した高木兼寛を取り上げた「白い航跡」という作品が吉村昭にある。正月はこれを読んで過ごそうかと思う。





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シュレスタでの報告会

2019年12月23日
昨夜湿った雪がまとまって降って、今朝の高野山は雪かきで大わらわである。

12月21日(土)
午后3時から、大阪桃谷のネパール創作料理の店「シュレスタ」で、大西さんたちの「プレート設置報告会」が開かれた。このプロジェクトの趣旨などについては10月15日の拙ブログをご参照願いたい。

私も出席して、30分ほど前座で話をさせていただいた。〇先生が急逝されてまだ間もない時期であり、どうなるかちょっと心配したが、結果的にはよい会であった。
IMG_4571_convert_20191223181341.jpg
*説明の画像に見入る参加者たち

大西さんたちは、さらに上流のツァーラン村でも同様のことをやろうという計画を持っている。来年の2月9日には堺市でも報告会が予定されている。その頃には、この計画がさらに具体的なものになっているだろう。

「シュレスタ」は10年ぶりであった。オーナーのシュレスタ氏は〇先生の教え子である。報告会の後、懇親会があった。つまみが美味しかったので、ビールが進んだ。
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うどんじゃなく、そば

2018年01月16日

11月16日(火)

一昨日の日曜日2時から、橋本市民会館で「高野山ゆかりの人々~南方熊楠・ゴルドン夫人他~」の題で話をさせてもらった。高野七口再生保存会主催のイベントであった。

帰宅して、ちょっと疲れが出てごろごろしているうちに「西郷どん」が始まった。主役の鈴木亮平がずいぶん頑張っている印象だが、それにもまして注目したのは、西田敏行と加賀丈史の「翔ぶが如く」シフトである。加賀丈史と渡辺謙がとても親子には見えないのもおもしろかった。それから島津久光役は、今回はよく分からなかったが、今調べたら青木崇高という役者である。「龍馬伝」で後藤象二郎を暑苦しく演じた人だ。後半生、この人との関係が西郷どんの運命を決めると言ってよいほど久光は重要な役どころである。「翔ぶが如く」では高橋英樹が演じた。プライドが高いおぼっちゃんで、短気で、酷薄、大大名家の当主らしい風格があった。


昨日は所用で京都今出川の同志社大学に行った。

お昼は、京都駅中の立ち食いそば屋で済ませた。実は私は立ち食いそばが大好きである。

券売機で鶏天そばセットのチケットを買って、おばさんに渡す。

「うどんですか、そばですか」

「(もちろん)そば!」

「鶏天うどん一丁!」

「そ、そばです」

「あら、失礼しました」

こちらはそばが食べたいのに、うどんが出てきたら、泣くに泣けない。私の後もお客が次々に入ってくる。鶏天セットはなかなかの人気だが、聞いていると、みんなうどんを頼んでいる。間違うのも無理はない。今自分が関西にいることを実感した。

同志社での用事が終わった後、久しぶりで神学部にS戸さんを訪ねたが不在だった。



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高貴寺再訪

2017年11月14日

11月14日(火)

埼玉のKさんが堺に来たので、昨日、慧海関連の場所を中心に堺を案内したあと、1年ぶりに高貴寺まで同行した。よく晴れて気持ちのいい1日だった。

高貴寺に着いたのは午後。挨拶のあと、すぐに「字を書きましょう」となった。私は心身共に消耗していたので、大筆を振るう気力はない。断ろうと思ったが、墨すりから始める住職のペースについつい巻き込まれて筆を取った(墨をするなど何十年ぶりだろう?)。案の定、最初の棒一本は途中で息切れした。位地取りが悪かったせいだが、これが今の自分の姿だと納得した。二枚目は観音の六字真言を、三枚目は空性の語をそれぞれチベット文字で書いた。少し気が晴れた。


「奥之院を見にゆきましょう。空性があるかもしれない」

高貴寺の裏山は、秋の台風による土砂崩れで無残な有様だった。巨木が折り重なって倒れて根をさらしており、土砂が下の池近くまで押し寄せている。住職は、「木が倒れて見通しがよくなりました。高野山も見えるかもしれない」と平然としたものであったが、復旧にはたいそうな時間と費用がかかりそうだった。


それでも奥之院は健在だった。御影堂を拝してから、廊下続きの方丈を見せてもらう。

「慈雲尊者が住んでいた部屋です。できれば私もここに住みたい」

私は、まだ若手の部類に入るこの人が、冬場は極寒となるであろうこの部屋で質素を通り越した何もない生活をしている様を想像した。それは悪くない光景だった。江戸の巨人的学僧、慈雲尊者飲光(じうんそんじゃ・おんこう)に対する憧れは私の中にもある。来年は尊者生誕300年だ。


「今度は学生を連れてきますよ」

Kさんを堺東駅まで送って帰途に就いた。








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科研

2017年11月09日

11月11日(土)

水曜日が科研費申請の締め切り日で、申請書類を出すのにぎりぎりまで悪戦苦闘した。科研費は税金で賄われるものだから、たいへんなのは当然と思わなければならない。当たればよし、当たらなくても、申請書を書くのは、自らの研究姿勢を正すのには効果的だ。書類を書いているうちに、通りたいという思いが強くなる。また本当に通るような気もしてくる。だが、結果は来年4月にならなければ分からない。


昨日、夕方から5人で山を下り、9月に密教文化研究所の研究員になったチャンさんの遅ればせの歓迎会を橋本の「ニューデリー」で開いた。他の3人も留学生である。彼らは御山にいる時間が長いから、こうした気分転換も必要なのだ。チャンさんは上海の名門復旦大学から1年の予定で高野山に来た人で、梵語の陀羅尼経典を研究している。今週から彼女のために授業をひとつ始めた。





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