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金と春

2018年02月20日

2月20日(火)

小平選手の金メダルのおかげで、昨日は一日中気分がよかった。

今朝、今年初めて山鳩の鳴くのを聞いた。春は近い。





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インドに入らば

2018年02月16日

2月18日(日)

昨日、恒例の一日人間ドックを受けた。終えての決意。目指せ、10キロ減量。


2月24日の「世界ふしぎ発見」は、「超人・空海 唐留学の謎にせまる」である。映画とタイアップしたものだ。去年、大学にも取材があって乾学長が応じた。番組のウェイトは、タイトル通り留学時代にあるようなので、高野山がどれほど出てくるかは分からないが、楽しみに待つことにしたい。


ムンバイ・コラバの「フード・イン」でランチを食べていた時のこと。

シェーカルさん「プロフェッサーとはコーヤサンで2度会ったけど、今のプロフェッサーは別人のようだ」

私「ええっ?どうちがうの」

シェーカルさん「コーヤサンではジャパニーズ」

私「じゃ今は?」

シェーカルさん「(一瞬考えて)グローバル」

私「(少々照れて)インドに入らば、インド人に従え、だよ」

と言いながら、思った。シェーカルさんが高野山で見た私は、場の空気と上下関係に極度に気を使う慇懃な日本人そのものだったのだろう。私に限らず、彼らを迎えた日本人たちはみなそんな風で、インド人たちは実は内心窮屈な思いをしていたのではないか、と。

ムンバイの「迎賓館」から車で空港に向かう私を最後まで見送ってくれたのもシェーカルさんだった。「バフット、バフット、ダンニャバード」と礼を言っておいた。







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雪と寒さ

2018年02月12日

2月14日(水)

今週の高野山はピョンチャン並みの雪と寒さが続いたが、今日は晴れ上がり、積もった雪が急速に融けている。

銀で悔しい、銅で嬉しい。4年に1度しかない世界最高の舞台で3位以内に入るだけで、十分過ぎるほど立派だと思うのだが、メダリストたちの気持ちはさまざまのようだ。こちらは超人たちの真剣勝負をしばらく楽しませてもらだけだ。





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公式行事の日

2018年02月07日

1月30日 朝、荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトする。私は今夜、公式行事が終わったら一人だけ早く帰国するのである。2月2日に通信制大学院の修士論文の口述試問がある。飛行機が遅れた場合でも何とかできるように、1日の余裕を見たのである。

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*インド門の朝


最初に行ったのは、在ムンバイ日本総領事館である。私にとっては3年ぶり、2回目の訪問である。ここで経済関係のプレゼンテーションを見てから、別室で昼食会。発言の機会をもらったので、これまでの経過を話し、知事にさらなる協力をお願いした。次は州政府訪問。続いて州知事公邸訪問。アラビア海に面した広大な敷地であった。最後はメインイベントである州の迎賓館での行事に列席。それが9時過ぎに終わると、私はO西さん、K課長に見送られてムンバイ空港の第二ターミナルに直行した。

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*マリンドライブの夕(バックベイを隔てて高層ビル群が見える)

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*知事公邸の黄昏


香港での乗り換え時間が1時間10分しかないのが懸念材料だった。飛行機が30分遅れるなどざらである。香港空港は大きい。乗り換え時間は多い方がいい。同じ会社だから大丈夫だろうとは思うものの、多少の緊張は伴う。ところが驚いたことに、飛行機は30分も早く香港に着いてしまった。あとは余裕であった。


翌日、午後大学に出て、5時限目に補講をひとつ。次の日は試問、試問、試問、補講、判定会議というスケジュールで、いっきに現実に引き戻された。


追加:今回も和歌山県職員のみなさんに大変御世話になった。彼らの努力によって、マハーラーシュトラ州では、日本といえばまずWakayamaというほど和歌山県のプレゼンスは増している。





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ムンバイ見学2日目

2018年02月07日

2月7日(水)

朝大学に来ると、雪かきしていた用務員さんが、「冷たいですねえ。さっき、ボイラー室の前でマイナス7度でした」という。「春は近いですよ」と答えた。


1月29日 午前中、本山から参加のK課長といっしょにマハーラクシュミー寺院を訪ねる。ムンバイ最古のヒンドゥー寺院だという。門前町が賑わっていてまことに結構なお寺であった。次は日本山。私は連日の訪問になるが、一度K課長を案内したかった。一種の幼稚園と考えていいのだろうか。子どもたちが歌で歓迎してくれた。

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昼食はコラバまで戻って、「フード・イン」で定番タンドリチキンを食べた。こちらは別に「フード・イン」でなくてもよかったのだが、ウメーシュさんは外国人を案内する適当な場所が他に思いつかなかったのであろう。インドに来ると食べ過ぎて困る。なお、こういう費用はすべてMTDC持ちである。中国と同様、お客さんには金は払わせないのである。ということはつまり、彼らが高野山に来た時には逆のことをしなければならない。


食後はまずVT、つまりヴィクトリア・ターミナス(旧称。現チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)を見学した。3年前にもこの建物の前で写真を撮ったのだが、その時は中には入れなかった。ウメーシュさんに聞くと、大丈夫というので、特にリクエストしたのである。時刻は3時頃で、駅の構内は比較的空いていた。これがラッシュアワーには前へ進むのが困難なほどの混みようだという。

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*建物が大きすぎてこれだけ離れても全部は入らない。

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*壁の動物・怪物たちが迎えてくれる。

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*構内の柱の根本もこの通り。

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この有名なターミナスは、明治のインド留学生たちもよく利用した。ベナレスで熱病に罹った清水黙爾(しみずもくじ)が、大宮孝潤(おおみやこうにん)とデイヴィッド・スプーナーに付き添われて着いたのもこの駅、マドラスから転学してきた東温譲(ひがしおんじょう)がボンベイに第一歩を印したのもこの駅である。


VT見学の後は、ボンベイ・ストアという物産店に寄ってもらって、お土産に象の絵を買った。ホテルに戻ると、明日の公式行事に備えて通訳として参加のMさんが着いていた。夕食は、山下さん、Yさん親子、Mさん、K課長といっしょに再び「フード・イン」で食べた。この店はホテルから歩いてゆけるので何かと便利なのである。多く頼みすぎて食べ残しが出たのが残念だった。タンドリチキンはハーフで丁度いい。


部屋に戻った後は論文に目を通す。帰国後、一日おいて2月2日に口述試問があるので、私は論文を3本も鞄に入れてインドまで来たのである。どれも大作なので、読むのに骨が折れる。なお、このタージマハル・パレスはサービスが行き届いていて実に心地よかった。例えば、レストランで朝食を食べていると、「味はどうか」とか「何か他に入り用はないか」などと尋ねてくる。それがちっとも煩く感じない。あくまで上品で控え目である。滞在2日目にDo not disturbのボタンをまちがって押してたために、部屋の掃除がされなかった。別に気にも留めていなかったが、夜になって、従業員がやってきて、掃除をしましょうか、と言う。高級ホテルとしては当然かもしれないが、ちゃんとチェックしているのである。

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*タージマハル・パレスのロビー


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