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聖☆おにいさんとバガボンド

2009年11月26日
私「あれ、君ら何読んでるの」
みんな「『聖☆おにいさん』です!」
私「なるほど、私も娘に勧められて1、2巻は読んだ」
みんなの中のひとり「さすが先生ですね」
私「うむ。このマンガは比較思想的、比較宗教学的に読み解かれねばならない。しかし、今私がもっと気になっているのは『バガボンド』がどう終るかだ」
みんなの中のひとり「ええっ?」

私「あのマンガは吉川英治の『宮本武蔵』が原作だが、原作にないほど、佐々木小次郎を掘り下げて描いてある。そのために全体の深みが格段に増したのはいいが、反面、小次郎が強くなりすぎたと思う。いったいどうやって、巌流島での、よく知られた決着にもってゆくつもりなのか、しかもそれを理屈ではなく作画で、どう説得的に表現しようというのか、他人事ながら心配していた」

みんな「はあ・・・」

私「しかし、この間再放送されたNHKの番組の中で井上雄彦が言っていたのは、登場人物がそれぞれ生きている、ということだ。確か宮崎駿もどこかで同じようなことを言ってるはずで、すぐれたクリエーターにはやはり共通点があると思う。つまり、決着は武蔵と小次郎が自然に着けるという訳だ。もちろんそれを形にするまでの作者の苦しみは決して小さくないはずだが・・・・・・
という訳で、ええと、今日はI 君からですね。確か、24ページの上段の『且つそれ唐朝に金剛智、不空、善無畏の三三蔵云々』からですね。ここはこみいってるからゆっくりやろう」


研究ノート

松本栄一さん

2009年11月24日
『評伝 河口慧海』の文庫化に当たって、写真の掲載許可を取りなおす必要ができて、写真家の松本栄一さんに久し振りに連絡を取った。松本さんはもちろん快諾してくれたが、それ以上に嬉しかったのは、しばらくご無沙汰の旧交が復活した気がしたことだ。

松本さんと言えば、チベットの写真である。そして最近ではダライ・ラマ本を多く出している。

いずれも心のこもったいい仕事で、松本さんの人柄がよく出ている。

松本さんとは、東北大学で助手をしていた時に出会って、まず『河口慧海請来チベット資料図録』(佼成出版社)を皮切りに、一緒にいろいろな仕事をした。1986年の東北大学チベット学術登山隊人文班(班長:色川大吉先生)の調査旅行でも苦楽を共にした。一言で言えば、私をチベット世界に導いてくれた恩人だ。



ある大学教員の日常茶飯

南方熊楠ゼミナールの盛況

2009年11月23日
今日は勤労感謝の日なので、感謝しながら勤労している。

11月21日(土) 晩の7時よりJR和歌山駅前ホテル・グランヴィア内「毬」で、中村敦夫さんを囲んで会食。南方熊楠顕彰会を中心に、そうそうたるメンバーが集まった。
「木枯らし紋次郎」が始まったのは私が中学生の時だから、ずいぶん時間が経っている。その間に中村さんは俳優、作家、ジャーナリスト、政治家など多彩な活動をしてこられた。だから、いつまでも「紋次郎」と言われるのは不本意かもしれないと、しばらく遠慮していたが、他の誰かが「紋次郎」と言い出したので、ついこらえきれなくなって聞いてみたら、「どこに行っても、言われますから」との答えだった。
とにかく中村さんは、人当たりは柔らかいが毅然とした本物の紳士だった。

11月22日(日) ゼミナール当日。午前中は市立博物館の武内善信先生の案内で、和歌山市内の熊楠ゆかりの地を訪ねるエクスカーションに参加。かなり長い行程で普段運動らしいことをしない私はすっかりくたびれたが、雄小学の跡地から始まって、南方さんの「世界一統」、生誕地、孫文が宿泊した旅館跡、友人・知人の家の跡など、見どころは多かった。和歌山は空襲でまる焼けになっているので、古いものは残っていないが、「熊楠は和歌山の本草学の系譜に位置づけられる」という武内先生の所論が素直にうなずける気がした。
午後のゼミナールでは、中村さんの基調講演と三人の発表。満員の盛況で、顕彰館を中心とするスタッフの皆さんの努力の勝利であった。

私は、昨夜の酒と午前中の運動とで、始まる前にすでに疲れており、途中でろれつがおかしくなりそうになったが、熊楠のように壇上で百面相をすることもなく、何とか最後までたどりつけた。神田君に似た寺男の写真を長く出しすぎたのが失敗ではあったが。 
 
研究ノート

事業仕分けとスパコン

2009年11月20日
前回に続いて急告:22日(日)の南方熊楠ゼミナールは、集中豪雨による浸水被害のため、会場が、和歌山あいあいセンターから和歌山市立博物館の2階講義室に変更されました。ご注意ください。詳細は下記まで。
   http://www.minakata.org/cnts/news/index.cgi?c=i091017


事業仕分けをおもしろがっている人も多いと思うが、私は心配でならない。その象徴が次世代スーパーコンピュータの予算削減だ。昨日、学者グループから抗議声明が出されたようだが、果たしてまきかえせるのか。
学問の分野では、今は効果がはっきり見えない、といったことはいくらでもある。ノーベル賞級の研究も最初はそんなものが多いはずだ。
それが、そういう理由でばっさりと切ってしまっていいのか。これまでにも潤沢とはいえない資金を何とかやりくりしてやってきたものが、仕分け人の一言で、なぎ倒されている感じである。

仕分けするなら、まず子供手当からやってもらいたい。






ある大学教員の日常茶飯

中公文庫版 評伝 河口慧海

2009年11月18日
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『評伝 河口慧海』の中公文庫版がついに完成し、今日見本が届いた。発売日は24日である。

解説は礪波護先生が書いてくださった。カバーデザインはnum.の山影麻奈さんだ。山影さんとは『ムスタン―曼荼羅の旅』(中央公論新社)以来のお付き合いだ。

当然のことだが、ものすごく嬉しい。

親本は2003年に出ている。そのあと、2004年に慧海のヒマラヤ日記が発見されるという、慧海に関心を持つ人間にとっては「大事件」があり、これが2007年に『河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅』(講談社学術文庫)として出版された。

そこで、今回文庫化に当たって、私はこの日記に基づいて第六章のヒマラヤ越えの部分と、第七章の一部を書き換えた。ほかにも細かく手を入れているので、出来栄えにはとても満足している。

文庫版のあとがきは、9月にインド・アッサム州のグワハティのヒルトップ・ロッジ滞在中に書いた。書いたのはそうだが、その骨格は、その前にタワンのホテルで一人、夜雨がトタン屋根を叩く音を聞きながら作ったメモだ。その時は、明日、まんいち土砂崩れで死んだら、これが遺書替わりになるだろうと、ぼんやり考えていた。これも今となってはよい思い出だ。

急告:22日(日)の南方熊楠ゼミナールは、集中豪雨による浸水被害のため、会場が、和歌山あいあいセンターから和歌山市立博物館の2階講義室に変更されました。ご注意ください。詳細は下記まで。
   http://www.minakata.org/cnts/news/index.cgi?c=i091017














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