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中国の旅へ

2016年08月16日
 明後日から中国の旅に出るので、出発前はこれが最後の更新となる。実はこの間までは、後半はキャンセルすることも考えていた。しかし、中国側との関係もあり、Cさんの熱心さにもほだされて、決行することにした。

 18日は上海を経由して一日で麗江まで行く。学術大会の会場は麗江の近くの剣川だと聞いている。昨日も書いたが、大理ー剣川ー麗江を通って西北に向かうルートは、1901年に能海寛がチベット入国を目指した道である。三江併流地域といって、ディチュ(金沙江、長江上流)、ザチュ(瀾滄江、メコン川上流)、ヌーチュ(怒江、サルウィン川上流)というアジアを潤すの三つの大河が併行して流れている地域だ。美しいところに違いない。
 23日、麗江から西安に飛んで、何カ所か見学した後、K師と夕食をとる予定。
 24日、車で750公里の道を五台山に向かう。学術大会が終わる27日に車で北京に移動し、翌日は市内を見学する。雍和宮はいつも通り。それから義和団事件の舞台になった東交民巷をリクエストしておいた。
 29日、北京から関空にフライト。

 帰国したらすぐ、ある原稿の締め切りと学会がやってくる。
フィールドワークの記録

山の日から8月15日まで

2016年08月15日

8月11日(木)

 今日は山の日だから、御山にいる。

 早起きして、締め切りが過ぎてしまった原稿に向かう。御山もそれなりに暑いが湿度が低いせいか過ごしやすい。ウセルさんも相棒が帰って暇なのか、お昼は「買い物に行きましょう」、夕方は「梵恩舎にしゃべりに行きますが」と誘いにくる。1回目は付き合ったが、2回目は、先に行かせて、5時半頃行ってみると、すでにお店は終わっており、ウセルさんはたけしさんやTちゃんと大門の方へ遊びに行った後だった。


8月12日(金)

 昨夜、仕事を上がった途端に、別の原稿の締め切りが明日であることを思い出し、今朝6時に研究室に入って、1500字書いて送信。これに3時間近くかかった。そのあと日本語の授業をし、ついでにCさんと航空券代の精算について話をする。雲南省での学術検討会が来週末に迫っている。

 これで午前中は終わり。オリンピックも気になるが、見ていると負けそうな気がするので、結果だけフォローするようにしている。

 しかし、4年後はそうはいかない。やっぱり、陸上か、それとも野球か、柔道か。何でもいいから、生で観たいものである。


8月13日(土)

 まだ原稿が仕上がらない。講演をテープ起こしした上で読める日本語に整えた文章を手直しするだけのはずが、どんどん直してしまう。そのあげく、自分が言いたかったことはこれだったんだな、などと確認したりする。まあ、講演記録というのも、発話行為の純粋な記録ではない。発話行為の雰囲気を残した書記言語だと割り切ればいいわけで。


8月14日(日)

 「暑い夏は大好きだ」としばしば書いてきたが、今日はさすがに危険を感じたので、泉ヶ丘駅には行かず、近所の喫茶店でしばらく仕事をした。夜、ビールを飲みながら、テレビで「日本のいちばん長い日」のリメーク版を観たが、もともと台詞が概して早口な上に、説明的なものが最低限に抑えられている。それをCMであれだけずたずたにしたら、初めて観た人は流れが理解できるのかな、と疑問に思った。それにしても、ある登場人物の台詞。「2000万人の国民を特攻で殺すつもりならば、必ず勝てるんだから」。あそこで戦争を止めなければ、どうなっていたか。


8月15日(月)

今年も終戦記念日が巡ってきた。早朝から3時間やって、ようやく原稿が完成。どうせお盆で受け取る人はいない、と分かっていたが、送信しないと前に進めない。そのあと、別の仕事を片付けにかかる。その合間に雲南に因んで、能海寛の資料を見てメモを取る。20日に雲南の学会で何かちょっとしゃべれと言われている。そこでトピックの一つは、1901年に雲南奥地の今のデチェン(徳欽)付近で消息を絶った能海寛のことにしようと考えている。まあ、楽しみでないわけではない。

ある大学教員の日常茶飯

一日だけの夏休み

2016年08月07日

8月7日(日)

今日はオフの日。朝起きて、三宅選手を応援し、銅メダルに輝いたのを確認してからまた眠る。午後から駅前のドトールで2時間半ほど読書して、1日だけの夏休みを終えた。

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8月6日(土)F社主催の「花火の夕べ」にお呼ばれして、淀川花火大会を高層階から見物するという珍しい体験をさせてもらった。

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もろもろの準備

2016年08月04日

8月4日(木)

 今日の昼、五台山の学会の発表原稿を送信した。それで一応区切りが付いたことにして、夕方から9月の印仏研の発表準備にかかる。何しろ、肝心な時期に2週間もいないのである。昼は行動して、夜ホテルの部屋でやったらいいじゃないか、というのを「悪魔の誘惑」という。実際はできるはずがないのである。

 実は8年ほど前、台湾に調査に行ったときに、こういうことを試みたことがある。結果は散々であった。それから、去年の3月にもムンバイのホテルで顕彰館の特別展「南方熊楠と真言密教」のための原稿書きをしようとしたことがあるが、これもまあ、無理筋であった。現場では現場のことに集中せねば。

 しかも今回は「お客さん」として中国にゆくのである。3日に1度は「乾杯」があると覚悟しなければならない。そんな訳で、今日から始まった田中公明さんの集中講義も、最初の1時間は顔を出したが、明日からは多分できなくなる。


 近頃、起床後、就寝前に体重を測っている。なかなかの好成績で、春先に比べて4キロも体重がおちている。


 

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ブッダの歩みをたどる旅

2016年08月02日

8月1日(月)

 2時から難波のクラブ・ツーリズムの事務所でミニ講演を行った。「ブッダの歩みをたどる旅」と題し、インド仏跡と仏伝とを絡めて、インド仏跡巡礼の意味などについて、1時間あまりお話した。

 集まったのは、これからインド旅行を考えようかという比較的年輩の人々である。この企画はクラブ・ツーリズムのOさんとエア・インディアのT部長によって立てられたもののようで、T部長もわざわざ出席された。T部長とは、去年、マハーラーシュトラ州に出発する前に関空でお会いして以来、アンベードカル関連行事やインド観光セミナーなどで何度もお目に掛かっている。さばさばした、とても感じのいい人だ。

 終わってからスタッフで話をしたが、Oさんの口から河口慧海の名前が出たのにはちょっと驚いた。七道駅前の慧海像も見たという。旅行業もアイディア次第で、切り口というものがますます重要になってきているのだろう。

 11月3日は、「河口慧海生誕150周年記念講演会」に是非来てくれるよう、案内しておいた。


 帰宅したのは6時近く。ゲラをひとつ宅配便に出し、しばらく休み、遅い時間に御山へ戻った。翌日のことを考えてのことだったが、今朝はさすがに早起きはできなかった。今パソコンに向かっていても、眼がかすむ、眠い。夏休みに入って、仕事に追われ続けてきた疲れがでているのかもしれない。

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